(感想)沖縄大学非常勤講師 具志堅勝也氏

「日米安保と沖縄問題」を巡る報道の温度差

(8)具志堅勝也さん
具志堅勝也氏

 筆者はRBC琉球放送とQAB琉球朝日放送で、合わせて三十五年間にわたり勤務した。その大半は報道部局である。ネットワークの違いはあれど、両方の局で同様に身に染みて感じたのが、日米安保や沖縄の基地問題に関する報道を巡っての、本土と沖縄の温度差である。

 2004年、沖縄国際大学に米軍普天間基地のヘリが墜落した。奇跡的に県民に死傷者は出なかった。事故発生直後、QABのニュースデスクはキー局のデスクに一報を送り、上りニュースの指示を仰いだ。

キー局「けが人は出ましたか?」
QAB「県民には出ていません」
キー局「それなら三十秒だけ上ってください」
QAB「こんな大変な事故をたった三十秒では伝えきれません」。

 結局一分のストレートニュースで上ることになった。夕方、沖縄に系列局のない日テレ以外の民放とNHKの全国ニュースをモニターしていた筆者は愕然とした。各局のトップニュースはいずれも「ナベツネが巨人軍オーナーを辞任」だったのである。米軍ヘリ墜落は三番目から四番目に短めに報道された。在京の局にとって、米軍ヘリが民間地域に墜落した事故より、ナベツネ辞任の方がニュースとして重要だったのである。

(8)1空中空輸機
住宅地上空を飛んで着陸する空中給油機(普天間基地)

(8)2普天間基地
普天間基地(左は滑走路、右は駐機場、手前は密集する住宅地)

(8)3駐機中のオスプレイ
駐機中のオスプレイ(普天間基地)

 米軍による事故事件の度に問題になるのが、日本駐留の米軍や軍人の地位を保障した日米地位協定である。米軍の特権を必要以上に認めた不平等協定だ。沖国大でのヘリ墜落事故では、海兵隊が現場一帯の道路を封鎖し、沖縄県警は大学構内にすら立ち入ることができなかった。日本の国内法より地位協定が優先されたのである。さらに地位協定では日本人を被害者とする犯罪であっても、起訴されるまで容疑者の米兵の身柄を日本当局が拘束できないことになっている。95年の少女暴行事件をきっかけに全国報道でも地位協定問題が取り上げられるようにはなったが、根本的な改正を訴える沖縄側の声が反映される程の世論形成には至っていない。その背景にあるのが、日米安保に対する国民の関心の低さだ。 沖縄返還交渉の際、佐藤総理の密使としてニクソン政権と交渉にあたった若泉敬と、筆者は親交があった。若泉は「緊急時における沖縄への核再持込みの密約を結んだことで、沖縄県民にすまないという思いを生涯抱き続けた。返還後も米軍が居座り続けていることに「日本は米国の属国でしかない。対等な日米関係を築くためにも現行安保を見直すべき」と主張していた。だが密約を暴露した著書「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」(94年)は、政府にもマスコミにも黙殺された。

 2009年、佐藤総理の息子の信二が密約文書の存在を公表したことで、著書の内容が事実と判明した。

だが当時の民主党政権は、「核については米国政府の立場を害することなく、日本政府の政策に背馳しない」と記された佐藤ニクソン会談での日米共同声明第8項を持ち出し「件の文書は第8項の内容を大きく超える負担を約束するものではない」として、佐藤とニクソンが署名した文書の内容を「密約ではない」と切って捨てた。裏を返せば「日米共同声明に〝核の再持込み〝が謳われていると認めたようなものである。だが民主党政権は「密約ではないので核の再持込みもない」と結論付けた。あまりにもでたらめな解釈だが、それを問題視する全国報道はなかった。

 若泉は、金銭欲に溺れ平和ボケした日本の現状を「愚者の楽園」と表現した。半世紀以上にわたり、日本本土と遠く離れた沖縄にのみ安保の負担を押しつけることで、国民の目と意識から安保を遠ざけた。日米両政府にとっては、その方が好都合だったのだろう。

 安倍政権が憲法9条の改定を持ち出したことで、安全保障問題に対する国民の関心が多少なりとも高まったのは皮肉な話だが、沖縄にとっては「安保は沖縄だけの問題ではないと訴える絶好の機会と言えるかもしれない。その観点からも、上智大学メディア・ジャーナリズム研究所の研究対象に「日米安保と報道」というテーマが加わることを期待している。