国際演劇協会日本センター「海外で活躍するプロフェッショナル」シリーズ Vol.3
『原サチコのぶっちゃけドイツ演劇話2』
~ レパートリーシステムとは? ハンブルク・ドイツ劇場の日常~
日時:2014年7月21日(月・祝)  14時~16時
会場:東京芸術劇場 シンフォニースペース

 ドイツ在住の女優、原サチコ(1988年外独卒)さんの講演会に参加した。会場はほぼ満席で、まず、ご自身が現在所属されているハンブルグ・ドイツ劇場の歴史と建物の説明から始まった。美しいネオバロック様式の建物に目を奪われ、市民によって支えられているという歴史の背景も聞き、文化の厚みの差を感じた。

毎日日替わりでさまざまな異なる演目(出し物)が上演される「レパートリーシステム」に会場の演劇関係者は驚いていた。原さん一人で、1週間に複数の演目をこなすことになるのは、一つの劇場で一定期間、同じ演目で同じ役柄を演じるというシステムとは大きく異なる。極端にいうと、今日はギリシア悲劇、明日はブレヒトということだ。そして、昼間は同時進行で新作の稽古が行われている。進行表の日程も具体的に示されて、説明がされた。
 また劇場の各部門の人たちへの、インタビューの撮影、編集、字幕まで自分でなさった原さんの動画も見ながら、説明が行われ、大変興味深かった。インテンダント、ドラマツルグ、大道具、小道具、衣装、メイク係りまで全部で12人、それぞれの個性が、多民族によって構成されている現在のドイツ社会の様子やシステマティックに各人がプロとして、誇りをもって演劇の仕事をしている様子がよくわかった。

その中で、上演演目の決定からPR方針まで決定する劇場のブレーン「ドラマツルグ」 というドイツの演劇界特有の職務についての説明がされた。ドイツでは、ドラマツルグを養成するドラマツルギー学がいくつかの大学の専攻科目にもなっているという。

また、ケルン市民劇場を成功させ、ハンブルグドイツ劇場のインテンダントに選ばれたカリン・バイアー氏へのインタビューも紹介された。インテンダントとは、芸術監督と日本では訳されるが、日本の芸術監督よりも職務は多岐にわたり、経営マネージメント、ビジネスの能力が必要なようだ。

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原さんが取材されたドラマツルグの一人は、井上ひさし先生の「少年口伝隊一九四五」を原さんと共にドイツ語に訳した共訳者でもあった。彼はインタビューの中で「井上作品の簡潔な文体で複雑な状況を描ききる作風に魅了された、ドイツで是非もっと紹介したい」と語った。

原さんの明るくナチュラルなトークと、演劇ジャーナリストの伊達なつめさんの進行で、あっという間に90分の時間は経過した。公営で支えられているドイツの劇場の在り方に、市民の文化に対する考え方と奥の深さの差を感じた。

以下 劇場の説明。ハンブルクにいらっしゃる機会のある方は、ぜひ、劇場もご覧ください。

ハンブルク・ドイツ・シヤウシュピールハウス
Deutsches Schausplelhaus Hamburg (ハンブルク・ドイツ劇場)

歴史

ハンブルク中央駅を降りて外に出ると、左に見える白亜のネオ・ バロック建築、それがハンブルク・ドイツ・シャウシュピールハウスです。

DSHは、1900年にハンブルク市民の有志がイニシアチプを取って建てた、市民の劇場です。当時首都だったベルリンに対抗意識もあり、ハンブルクにもドイツ演劇を上演する立派な劇場を作ろうとしたのです。1200席の客席を持つ、当時も現在もドイツ演劇を上演する劇場として今ドイツで最大の大きさを誇ります。

1900年当時、ヨーロッパ中で劇場を建立していた人気建築家フェルナー&ヘルマーをオーストリアから招き建てられ、彼らの建てたウイーン・フォルクス劇場を始めとするプラハ、チューリッヒ、ヴィースバーデン等の19世紀を象徴するネオ・バロック様式劇場の集大成的な建築物で、「ドイツで最も美しい劇場」とも呼ばれ、ドイツ演劇人にとっても宝物のような存在です。

その100年の歴史には、いろいろなことがありました。

ヒトラーの第三帝国時代には、有志の市民による私立劇場から、公立劇場となりました。

1980年代から90年代にかけては、ペーター・ツアデック、フランク・バウムバウアー

など、名物インテンダントがドイツ劇場を改革し、「新しい演劇、前衛的演劇の誕生する劇場」「ドイツ演劇を牽引していく劇場のひとつ」としての評判も高まり、多くの名だたる演出家が誕生しました。

また、ベーター・ツアデックは、ドイツ公共劇場の伝統である劇場会員制度(アボネモン)を廃止するという大胆な改革をしました。一年前から鑑賞日が決まっている会員でなく、当日フラッと劇場に来る観客を本切にするためです。

2000年代に入つて、その「ドイツ演劇のリーダー的劇場」という評判ゆえのプレッシャーと、劇場会員なしで1200席という巨大な小屋を埋める難しさから、劇場運営は低迷し、何人もインテンダントが交代しましたがうまくいきませんでした。

そして2010年、ハンブルク市からの更なる劇場予算大幅削減の通達を受けて、前インテンダントが任期途中で去り、ハンブルク市は劇場閉鎖を決断しました。これに対してハンプルク市民のみならずドイツ中の演劇人が立ち上がり、大型のデモを繰り返した結果、ハンブルク市は閉鎖予告を撤回し、劇場再生に向けて動き出しました。ドイツ中から立候補したインテンダント候補者を選びに選びぬき、ついにカリン・パイアーが選ばれました。彼女がケルン市民劇場を数十年に渡る低迷期からドイツ年間最優秀劇場賞を取るところまで再生させた手腕を買われてのことです。

HP建物の画像:
http://de.wikipedia.org/wiki/Kultur_in_Hamburg#mediaviewer/Datei:Hamburg.Schauspielhaus.wmt.jpg 

劇場HP:
http://www.schauspielhaus.de/de_DE/home

劇場上演カレンダー
http://www.schauspielhaus.de/de_DE/kalender

原サチコ出演作情報:
http://www.schauspielhaus.de/de_DE/ensemble/sachiko_hara.80795

● お知らせ 7月28日(金)18時~にドイツ文化センターで原サチコさんによる「三文オペラワークショップ」も開催予定。(7月18日に上智大学にて、ドイツ文学部の授業の一環として開催された内容とほぼ同じようです)
詳細は次のHP参照 http://cms.goethe.de/ins/jp/tok/ver/ja7708637v.htm

<原サチコさんプロフィール >
1964年11月 神奈川県生まれ。1988年外国語学部ドイツ語学科卒。
1984年より演劇舎蟷螂にて演劇を開始し、後に劇団ロマンチカにて活動。
1999年渡辺和子演出「NARAYAMA」ベルリン公演でドイツにて初舞台。滞在中に鬼才クリストフ・シュリンゲンジーフ氏に才能を見出され、彼の作品に出演。
2001年よりベルリンへ移住。その後、ニコラス・シュテーマン演出の「三文オペラ」ポリー役をきっかけに様々な演出家の作品に出演。
2004年より、東洋人として初めてウィーン・ブルク劇場の専属俳優となり、シュリンゲンジーフ、シュテーマンをはじめ、ルネ・ポレシュ、セバスチャン・ハルトマン氏など全16作品に出演。
2009年にハノーファー州立劇場に移籍。
2011年にはケルン州立劇場で「光のない」全世界初演に出演。
2013年8月からハンブルク・ドイツ劇場の専属となる。
専属俳優としての活動の傍ら井上ひさし作「少年口伝隊1945」朗読と共に広島を語る「ヒロシマ・サロン」を開催している。5月にはベルリンHAU劇場で「在独日本人としての大震災」を語った。
私生活では13歳になる息子を育てるワーキング・シングルマザー。

報告山田洋子 1977年外独卒