前の日まで雨模様であった。だが第18回東京オリンピックの開会式(1964年10月10日)は、まさに青天であった。筆者もフィールド・ホッケーの取材を手伝った。
この競技は当時日本ではあまり活発になっていなく、ルールを知るのに一苦労した。全国紙に入社して4年目で、金沢支局に勤めていたのを、東京へ駆り出された。この大会は戦後のスポーツ界の一大イベントであった。日本チームの活躍に小躍りした。女子バレー・ボールや、三宅選手のウエイト・リフティングの優勝などに目を見張った。
高度経済成長期で、家庭では冷蔵庫やテレビなどを買い求めた。高速道路や新幹線も導入されて、世の中が進行しているようだった。ところが、その後、反動になった。とくに1970年ごろから環境破壊が登場。水俣病、新潟水俣病、四日市の大気汚染などが続発。宅地造成で全国の地価が値上がりした。
オリンピックと、社会の底の部分にあった現象が一気に出てきたと言えよう。六年後に再びオリンピックを迎える。確かにうれしく、日本全体が盛り上がっていこう。「おもてなし」や「日本料理ブーム」が今後も大いにもてはやされるだろう。
だが、オリンピックのはなやかさと、それに参加できない人びとも含めて開催してもらいたい。冬季の長野オリンピックから始まっている一校一国運動をさらに続けてほしい。一つの小学校がまだ訪れたこともない国ぐにを応援する。とくに東日本大震災の被災地の人びとにも参加、応援してもらいたい。障害者スポーツのパラリンピックにもみんなで協力して行こう。
オリンピックが選手だけでなく、多くの市民の参加になるように。「金」をどれだけ取るかというよりも、市民一人ひとりのもてなしで、各国の人びとを迎えたい。「参加することに意義がある」と述べたクーベルタン男爵に見習いたいと思う。笑顔をたやすことなく。(武市英雄 ’60 文英 新聞学者 元上智大学名誉教授)