■講演テーマ:「ガンバル、85歳の国際交流活動」
―NGO・ワンワールド・ワンピープル協会の社会貢献活動に邁進―
■講 師 鈴木一男(すずきかずお)さん (’52年文学部新聞科卒)
NGO ワンワールド・ワンピープル協会(OWOP) 会長
■日 時 2014年9月17日(水) 18:30~20:30
■場 所 ソフィアンズクラブ
■参加者:20名
※NGO ワンワールド・ワンピープル協会
http://www.owop.gr.jp/
〈鈴木一男プロフィール〉
昭和4年生まれ、現在85歳。在学中2年生で上智大学新聞の編集長に就任。学業のかたわら夜は国際学部の事務所でアルバイト。極東政治史のバティスティーニ教授に認められて助手となる。1年後輩の渡部昇一氏とともに「現代の日本政治における青年層の政治団体について」の研究を行う。国際学部を受講していた米軍将校たちと親交を深めたのが、後日米軍基地内で日本の物産を販売する事業につながった。その後、海外のベビー用品を日本全国の百貨店に卸す事業を始める。やがてアメリカの教育セミナー会社に60歳で総務部長として入社。同社の社会貢献事業であるOne World One People事業を担当し、現在はNGO(民間組織による国際協力団体)として独立させ、今もその会長として現役で活動している。
ワンワールド・ワンピープル協会(OWOP)は、「世界中のすべての人々にとってうまくいく世の中」というビジョンを掲げ、その実現に向かって活動をしているNGO。この協会の海外支援の具体的な成果としては、これまで20年以上にわたりスリランカの子供たちに幼稚園と農村に井戸を贈ってきている。現在では、加えて図書館やコミニティセンターの建設、奨学金・教育プログラムの支援も行なっている。
▼演者口上!
「こんばんは今日はこういう機会をいただいてありがとうございます。今日は、上智大学にもこういう時代があったという昔話をリラックスした雰囲気でお話させていただき、私の今活動しているワンワールド・ワンピープル協会についてもご紹介させていただきます。 先月(2014年8月)は、大学生を中心に日本の方10名ほどとスリランカにいってきたばかりです。」
冒頭から、85歳とは思えない明るく元気なご挨拶で始まった。
▼渡部昇一さんといっしょに英訳の手伝い―大学に寝泊まりした学生時代
鈴木さんが今行なっている活動を始めた原点は、上智大学で学んだことからなのだそうだ。戦争直後の上智大学や四谷界隈は焼け野原で何もなく、お堀ではカエルが鳴いているような所だったと懐かしそうに昔の様子も話された。授業を受けながら、毎日新聞で夜アルバイトをしていたが、夜間在日駐留軍人に授業を行う国際学部を始めたミラー神父様に勧められ、事務所で雑用係のようなこともなさっていたそうだ。
当時は、進駐軍の高級将校なども日本の歴史についての授業を聞きにきていたので、神父様の手伝いをしていた鈴木さんの生活には、直接西洋文化が入ってくることになったという。当時のミラー神父様は「自分の誤りは自分で正しなさい」という大変厳しい方。封筒に記入する宛先の位置が1cmでもずれているとただ黙って書き直しを求めるほどで、すごい勉強になったそうだ。しかしその反面、厳しい食料事情の折、大人数の姉妹たちにと援助の手をさしのべてくださった人間味あふれる思い出が沢山あるという。
ボッシュタウンと呼ばれた学生寮では、山形出身でドイツ留学された渡辺昇一先生や米国留学された新聞学科の川中康弘先生が居られた。バティスティーニ教授が、当時の国際部(International Division ―通称インデヴィ)で「極東政治史」を教えられていて、当時様々な政治団体の若い人にインタビューレポートを作成されるのを、渡部先生が英訳を担当したのも懐かしい思い出だったとの事。
鈴木さんは早稲田大学の大学院に進み国際政治を学ばれたが、「激動する社会情勢でしたが、上智大学のような温かい家庭的な雰囲気はありませんでした」と母校の神父様との人間交流を振り返られた。そんな時に、お父様が急逝されて、家族を養うために仲良くなっていた高級将校から、進駐軍基地内の店舗PXを紹介されて、商売を始めた。日本の土産品の販売から始め、最初はトヨタのトラックに寝泊まりしながらの生活だったが、だんだん生活が成り立つようになった。「新聞編集で大学にもよく寝泊まりしたし、かなり乱暴な人生を送ってきました」と当時を振り返られた。
▼苦労した上智大学新聞の紙の確保―神父様の援助で忍ぶ
特に鈴木さん自身が編集長で発行していた「上智大学新聞」には、大変思い入れがあり、諸橋晋六元ソフィア会会長、井上さん、赤羽さんから、ヘルツォーク神父、ビッター神父、ボッシュ神父等の思い出についても語られた。 特に神父様に資金援助をしていただいたこと、当時はまず印刷する紙の確保に苦労されたこと、そしてアルバイトをしていた毎日新聞社で“広告紙型”をもらい、掲載料をもらいに電通までいらしたこと等、当時の新聞学科の先輩と徹夜で議論しながら、当時一号館の半地下で寝泊まりし、上智大学新聞を作られた思い出話に花が咲いた。現在上智大学新聞は廃刊されていて、上智新聞が大学の新聞となる。
▼アメリカ、アスペンでの人生の転機、「未来への選択 – CHOICES FOR THE FUTURE」セミナー 、ボランティア活動への目覚め
上智大学でいろいろな体験をしながら、食べるために貿易事業を始められた鈴木さんだが、その後事業に成功され、アメリカンクラブにも出入りされるようになり、アメリカ人との交友が増えた。その中で、某アメリカ人に薦められ参加した企業活性化のセミナーがきっかけで現在のボランティア活動を手伝うようになり、肌の色、宗教、政治的な信条が異なっても同じ仲間の人間であるという「ワンワールド・ワンピープル」という活動を知った。ちょうど自分の力の限界を感じ、組織の力をかりてもっと何かに貢献できないかと考えるようになったため、活動を手伝うことにしたという。
そのような中、大きな転機はジョンデンバー主催の「未来への選択 CHOICES FOR THE FUTURE」というセミナーに参加されたことだ。ロッキー山脈の中の素晴らしい会場で開催され、感激した鈴木さんはその後、スリランカでのボランティア活動に参加された。
最初は日本で使わなくなった古いメガネを集めてスリランカに送ることから始まり、現在は、井戸や幼稚園、図書館の建設資金を寄付している。亡くなった夫の記念のメガネを寄付してくださった方もあり、大変感動したこともあるそうだ。古いメガネはスリランカではありがたく受け取ってもらい、寄付の効果がはっきり目にみえてわかるし、シンプルなちょっとした発想が人助けにつながるという気づきが、その後の活動の大きな原動力となったそうだ。「現地のニーズにあった支援をすることが大切です」と強調された。 米国には貧しいアフリカの国に対して、20倍の食糧があるという格差もなくしたいとも語られた。
▼「アースデイ」など、これまでのワンワールド・ワンピープル協会の活動
協会では、以前「アースデイ」という地球環境を守るイベントに参加した。また、旧ソ連で行われた、ロシアや米国の市民国際交流として激流を下るイベントに日本からも参加し、さらにトルコでの激流選手権大会にも参加したという。鈴木さんの活動を25年前からサポートされているソフィアンの藤生崇則さんは、お父様が亡くなった時に、お父様の名前を付けた幼稚園を建設され、その時の様子も動画で紹介された。
資料スライド:創成期1990 アースデイ
資料スライド:創成期1991~1992年 ソ連、トルコでのイベント
資料スライド:初期1993年第1回サルボダヤスタディツアー(スリランカ)
資料スライド:初期1993年(井戸と幼稚園の数を示す地図)
資料スライド:初期1993年~2003年様々な活動の様子
▼リピーターも多い人気のスリランカスタディツアー
協会では、毎年夏休みにスリランカで約2週間ホームスティをして現地の村人といっしょに井戸掘りをするボランティア活動のスタディツアーを始められ、20年以上スリランカに行ききされているそうだ。ちょうどスリランカ滞在中の2014年8月26日に誕生日を迎えられ、85歳になられたが、スリランカでは60歳くらいで引退をする人が多いので、スリランカの人に大変驚かれたそうだ。「私の子どもの頃はお誕生日というお祝いがなく、お正月に一つ年を取った」「1月1日は10年以上スリランカに滞在なので、4月がお正月のスリランカでは年を取らないのです」現地の人に説明、大笑いをするそうだ。スリランカは長年英国統治下にあったため、西洋文化の影響を大きくうけているため誕生会を盛大に行うそうだ。「誕生日といわれると気恥ずかしく、60年で自分のお誕生日は終わったことにしている」とも語られた。
スリランカは大家族で、一族郎党が隣近所に住み、現在の日本社会ではなかなか味わえない密度の濃いコミュニティが残っているそうで、特に日本の都会では消えてしまった温かい人との交流を体験できるので、3年も続けて参加した学生もいたそうで、人気のあるツアーのようだ。
▼ボランティア活動の長続きの秘訣は各自の自然体の提供
協会は、これまでスリランカに井戸を325ヵ所に、幼稚園を200以上つくられたが、予算は井戸が7-8万円、幼稚園が50-60万円くらいでできる手作りの簡単なもので、現地にホームスティで行く学生さんも手伝っている。100万円もあれば、図書館付のりっぱな幼稚園ができるそうだ。毎年スリランカに学生を連れてホームスティもされているが、最初、飲み水から体を洗う水まで同じ沼で行われることに抵抗がある若者も最後には、現地の人となごやかに交流するようになり、リピーターも多いという。
「自分達が主役ですよ」と学生に報告書やガイドブックも作らせたり、学生には、いっぱい学べるチャンスを与えている。また60歳過ぎのリタイアした人も一緒に若者と活動をしている。これを機会にそのうちにまた新しい活動報告をぜひしたいと生き生きと鈴木さんは語られた。自然体でそれぞれの得意分野を提供することによってボランティア活動を支えるのが、長続きの秘訣のようだ。
資料スライド:青年期 2003年~2004年井戸掘りの様子
資料スライド:青年期 現在の活動の様子
▼質問コーナー
学生時代の思い出については、「上智がなんといってもNO.1です。今日の三水会のような機会は私の人生の大きな宝物になります」と語られた。
また、今も国際的ボランティア活動に邁進する「若さの秘訣」は、毎日の食事を20品目必ず食べるようにして、よく噛むようにしているとのことだった。お酒は、365日飲んでいて、お母様も長寿、106歳で2年前に亡くなったという。
最後にスリランカの社会情勢についての質問に対しては、現政権がタミール人のゲリラを弾圧したことや、最近では中国の進出がめだつことについて触れられた。
様々な質問が出た中、鈴木さんは淡々と一人ひとりに丁寧に答えられた。
▼感想
詳しくお話をうかがうと、スリランカの政情が不安定でゲリラに襲われる危険のあるような時代から、行き来されて来られたことがわかった。それでも、支援に対して手ごたえがあるスリランカで活動を続けられる鈴木さんの若々しくはつらつとした姿に感銘を受けた講演でした。(聞き起し 山田洋子 ’77外独)