■講演テーマ:週刊誌「AERA」でわかる働く女性の変化 ー 雑誌ヒットの秘密 ー
■講師:浜田敬子(はまだけいこ)さん(’89年法学部国際関係法学科卒)
   「AERA(アエラ)」編集長
■日時:2014年10月27日(月) 18:30~20:30
■場所:ソフィアンズ・クラブ
■参加者:30名

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<浜田敬子プロフィール>
’89年朝日新聞社入社。前橋、仙台支局を経て、93年週刊朝日編集部。篠山紀信さん撮影の表紙や林真理子さんの対談ページを担当し、99年からAERA編集部へ。特に
女性、雇用、国際問題などを担当し、2004年から同誌副編集長。06年に育児休業取得。13年から同誌編集長代理。14年4月に編集長に就任。 現在テレビ朝日「グッド!モーニング」火曜日コメンテーター、BS朝日「ザ・インタビュー」のインタビュアーも務める。

司会(黒水):「浜田さんが編集長をしておられる週刊誌『AERA(アエラ)』は、働く女性に焦点を当てた独自の編集視点をもち、雑誌出版だけでなく読者参加型組織「ワーキングマザー1000人委員会」を組織化してネットワーク活動も展開しておられます。浜田さんは、この9月にはワシントンDCで開かれた「WHITE HOUSE SUMMIT ON WORKING FAMILIES」に招待されており、働く女性のための活動やワシントンDC、ホワイト・ハウスでのイベント招待の様子などについてもお話しいただきます」

2講演オープニングRIMG6041

演者口上:「皆さん、『AERA』を読んでいただいたことがあるでしょうか。ご存じの方はどのぐらいいらっしゃいますか(笑)。上智大の現役の学生とか若い人の講演に行くと、たぶん半分も手が上がらないかも、というぐらいです。
 私たちが作っている『AERA』、今週号はこれです。『AERA』は1988年、私がちょうど大学4年のときに創刊しました。皆さんご存じだと思いますけど『ライバルは朝日新聞です』というすごくお金をかけたキャンペーンをやって朝日新聞社が作った週刊誌です。

3AERAの紹介  RIMG6053

 創刊から26年経って、私が2014年4月に初めての女性編集長として就任しました。今『週刊朝日』も、創刊70年で初めての女性編集長です。

 私は1999年から『AERA』で働いています。長く『AERA』にいるので、今はほとんど『AERA』の生き字引のようになっていて、『あの企画は何年の何月ぐらいにもうやった』とか歩くデータベースとなっています」


浜田さんによると出版不況の中、特に雑誌部数の減少は激しいため、紀伊國屋書店販売データ提供サービス「PubLine」に一喜一憂する毎日だという。 その「PubLine」の数字で見ると、『AERA』の読者は、男女比はだいたい5:5。売れた号は女性の読者が増えるときで、女性が6割ほどになるという。『AERA』は、男女合わせて30代、40代、50代初めぐらいまでの読者が多くて、専業主婦は少ない。日本の週刊誌の中では、女性の購読比率が高いことが、1つの特徴。読者の7割が都市在住。都市に生きる人たちの悩みを中心に取り上げている。教育問題1つを取っても、公立しか選択肢がない地方と、たくさん選択肢があって、しかも教育費がかかる都市では悩みの種類も質も全然違うことから、その辺は意識して編集している。『週刊朝日』という媒体もあり、同じ社内に2誌、週刊誌があることの差別化も図っているという。

▼大特集主義に路線を変革し、特別編集長に秋元康氏・他を依頼

 『AERA』創刊当時は、「日本の『Newsweek』『Time』を目指す」ということで、国際ニュースに多くの誌面を割いてきたが、世の中の変化ともに編集方針を変え、現在は働く人たちが関心の高いこと、とくに女性を意識している。

 そして浜田さんが4月から編集長になってからは大特集主義に路線を変革した。すぐに部数増という結果には結びついてはいないが、「最近の『AERA』はおもしろくなった」という反響が大きくなったという。大特集主義にしたのは、秋元康氏のひと言がきっかけ。秋元さんと仕事をしたときに、「浜田さん、幕の内弁当って記憶に残らないでしょう。あのとき食べておいしかったという幕の内弁当ってある?」と言われた。週刊誌の王道は政治、経済、マネー、事件、芸能とどの分野もくまなく入っているということ。それがこのひと言で、「幕の内弁当を作っていたら駄目だ」と気づかされ一号一号インパクトのある特集を組むようにしている。

 さらに浜田さんが編集長になってやった新しい取り組みとしては、編集部以外の人とのコラボ。雑誌の市場が非常に厳しい中、日本を代表する超一流のプロデューサーに一号限りの「特別編集長」を務めてもらい、一緒に企画を考えている。そういう号を作ることで編集部員には一流の発想法や視点も学んでもらいたいと思っている。

 最初は無理を承知で秋元さんに「『AERA』を私たちと一緒に1冊作っていただけませんか」と手紙を書いた。秋元さんは一号限りの「特別編集長」という試みをおもしろがってくださり、「無理を超えろ」というテーマの一冊が生まれた。巻頭では無理を超えている人ということでワールドシリーズ優勝の米大リーグの上原浩治投手や40代になって歌舞伎役者に挑戦している俳優の香川照之さんらを特集した。新たな雑誌としての試みは反響が大きく、部数も大きく伸ばした。

 次に日本を代表するプロデューサーとしてジブリの鈴木敏夫氏を特別編集長に依頼、「ジブリがアエラにやってきた/宮崎駿引退後は初仕事」として表紙には宮崎氏の「マリーとクルミわり人形」を掲載した。そして今は、“くまモン”を考案した小山薫堂氏に特別編集長を依頼して企画を練っている。
特別編集長だけでなく、他の媒体とのコラボにも挑戦している。糸井重里氏の「ほぼ日刊イトイ新聞(ほぼ日)」サイトとは特集「40歳は、惑う」を一緒に企画、誌面は『AERA』がつくり、「40歳を考える」サイトはほぼ日側がつくり、ネットとの連動企画にした。

「AERAの新たな取り組み事例」1
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「AERAの新たな取り組み事例」2
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▼『AERA』の読者は向上心があり、知的好奇心が高い

 浜田さんは、「『AERA』の読者の特徴は何かとよく聞かれる」という。「『AERA』の読者の特徴は、男女半々で、30代40代の働き盛り世代。知的好奇心が高く、向上心があり、世の中を少しでもよくしたいという気持ちがある。自分のキャリアに対しても積極的で、人生に対してポジティブであるという特徴がある。アンケートを依頼しても一晩で驚くほど内容のしっかりした集計がくる。自分の意見をしっかり社会に届けたいという意思をもった人が多いと感じます」と語った。

「AERA最新データ」
「AERA最新データ」1

「AERA本誌での大特集」
[AERA本誌での大特集」1

 その読者に答える形で、昨年4月以降の特集は、「リーダーシップ」や「子育て」、「サッカー仕事論」などを組んだ。転職や英語を特集した号も人気があり、最近では、「40歳は、惑う」、先週号「クスリとどうつき合う」、その前「介護で人生をあきらめていませんか?」と特集してきている。
 浜田さんは、『AERA』のコンセプトや『AERA』で報じている内容が好きだから読みたいと思われる雑誌をめざしたいという。「毎号、毎号の販売部数には、上下がありリスクが伴うが、反響があり、やりがいもある。当分は特集主義で『AERA』を続ける」と力強く語った。

講演の様子
4講演の様子 RIMG6069

▼クロスメディアを利用した雑誌販売増加策を考える

特別編集長号を作るだけでなく、雑誌だけではインパクトが弱いので、雑誌の企画を雑誌の外に広げることにも努めている。
特別編集長を依頼したジブリの鈴木敏夫氏とは、特集号のなかで「鈴木敏夫を宮崎駿につなげた232冊」という記事を企画した。鈴木氏の4000冊の蔵書の選書会議の模様をFM東京で番組にする一方、代官山蔦屋書店との共同企画で店内に「鈴木書店」コーナーを設けて実際本が買えるようにした。さらに、鈴木氏のトークショーも蔦屋書店で企画、『AERA』の読者にふれあう体験と販売増策を図った。
 ほぼ日とのコラボ企画「40歳は、惑う」では、『AERA』とほぼ日で共同サイト「40歳は、惑う」を作り、SNSで読者同士が悩みなどを話し合える仕組みを作った。

▼働く日本女性の変化と『AERA』

 浜田さんは、1989年に朝日新聞社に入社した。世の中バブルで、雇用機会均等法施行から3年目ということもあり、女性も大量採用されていた。だがその後バブルが崩壊し、就職氷河期に。採用自体も絞られたが、均等法採用で大量採用された女性たちを企業側がどう使ったらいい方針が固まらないうちに一気に辞めてしまった。90年代は逆に非常に働く女性にとって厳しい時代になったという。

 『AERA』が働く女性向けの記事を増やしたのは1998年。当時編集部に在籍していた88年入社の女性記者4人が自分たちのもっとも関心の高い話題を記事にし、反響を呼んだことから始まった。

 創刊当初の『AERA』は国際ニュースが中心で、湾岸戦争のときには中東などに10人以上の記者を派遣し、1冊全部湾岸戦争の記事で作った。当時はベルリンの壁崩壊からてソ連の崩壊、冷戦の終結と世界情勢が劇的に変わっていたので、国際ニュースで売れていた。だがその後、徐々に国際ニュースへの関心は薄れていった。そこに起きたのが1995年の阪神・淡路大震災とオウム事件だった。とくにオウム事件は、エリートたちがなぜ犯罪を犯したのかというところに『AERA』はこだわって報じた。オウム事件を機に90年代後半は、人の内面を書くニュースが増えていった。女性の生き方を報じ出したのも、人間の内面や生き方にフォーカスした延長にあったのだと思う。当時はまだ女性の生き方をニュースだととらえる雑誌が全くなかったことから、『AERA』は非常に注目されて部数も伸び、今の『AERA』の路線ができたという。

浜田さんは、「女性は景気にすごく影響される。バブルが崩壊して、一気に就職氷河期に入り、一番しわ寄せを受けたのも女子学生。そのあと98年ぐらいの日本経済が一番冷え込んだときも、女性の採用がグッと絞られた。日本経済のあおりを一番受けているのは女性なので、女性を報じることは、日本という国の行方やひずみを報じられると思っています。」と述べた。

▼『AERA』3大ヒット話―ヨンさま、雅子さま、負け犬さま

 『AERA』にはもう一度転機があったという。それは、2004年、浜田さんが副編集長になったときのことだ。
「2004年の『AERA』には3大ヒット話題があり、その話をやれば売れるというテーマがあったのです。それは、ヨンさま、雅子さま、負け犬さま、と私は呼んでいたのです。

 2003年に酒井順子さんが『負け犬の遠吠え』という本を出し、大ベストセラーになりました。そのベストセラーの10万部ぐらいは『AERA』が貢献したと、酒井さんにも言っていただいているぐらい、『AERA』は何度もこの現象を報じました。『負け犬の遠吠え』が出た直後に、私は、「これだ!」と思いました。これほど独身の気持ちを表わした本がなかったからです。

 なぜ響いたかというと、まさに自分たちは1989年卒業の均等法世代だったにも関わらず、ほとんどの女性が仕事を辞めていました。仕事を続けているのはメディアに行った人間か、外資系に行った人間。日本企業は、例えば当時、富士銀行は総合職の女性を30人以上採ったのですが、今2人ぐらいしか残っていないそうです。私よりもうんと成績もよくて、帰国子女で、英検1級もあって、同時通訳の資格も持っているような女性たちが、なぜ働くことができなかったのだろうというのは、自分自身の問題でもあったので、ずっとそれをテーマに記事も書いてきました。

 私が卒業した国際関係法学科の同級生は働き続けている人と専業主婦が半々ですが、働いている人は全員独身、働いていない人は専業主婦をしている。独身の同級生たちの話を聞いていたので、酒井さんの本が本当に腑に落ちたのです。働き続けるために、全てを犠牲にしたとは彼女たちも思っていないですが、やはり結婚や出産を後回しにしてきた、という意識は持っていますね。「負け犬」をテーマにした記事は第8弾まで続けたのですが、反響があったのは、働き続ける女性の悲しみというか、それが伝わってきたからではないかと思っています」

▼すごい反響のあった「雅子さまが気になる私たち」の記事

 「雅子さまに関してもやはり上智の同級生との会話から始まったのです。当時雅子さまが、ちょうど適応障害を発症されたころだったのです。ずっと働き続けている女性たちの意見を聞くと、すごく雅子さまのことが気になっていた。あんなにキャリアもあった女性が、キャリアを捨てて皇室に入ったのにも関わらず、言われることは「子供はいつ生まれるのか」「男の子ではなかった」ということだけで、雅子さまは何のために生きているんだろう、雅子さまの人生って何なんだろう、というのが同級生の間での感想だった。それを「雅子さまが気になる私たち」ということで記事にしたら、それもすごく反響がありました。

 それから10年以上、雅子さまの病状は少しずつよくなっていますが、雅子さまに対する視線は同じではありません。そこにはやはり複雑な思いがあって、自分たちだって働きながらつらいんだと。変わらない皇室と変わらない大企業を重ねて見ているんですね。私たちも男社会で頑張っているのだから、雅子さまもどうか頑張ってほしいという思いが出てきています。このように女性たちの思いを重ねた企画はうまくはまると部数が出ます」

▼ヨンさま表紙に爆破的反応で完売

 「もう1つのヨンさま。ヨンさま(ペ・ヨンジュン)は、2004年4月に来日しました。その前の年から韓国ドラマ「冬ソナ(冬のソナタ)」の日本での放映が始まっていて視聴率も徐々に上がっていたのですが、来日がピークとなり人気に一気に火がつきました。ホテルニューオータニで会見をやったときには中高年の女性たちが殺到しました。『AERA』では5月に表紙に登場してもらいましたが、その号は完売。「『AERA』さま、ありがとう」みたいな巻紙の手紙が来たりと、私たちが今まで触れたことがない読者の方たちが、ものすごく感情移入されていたのです。夫とうまくいってない方などが、「純愛をありがとう」、みたいな感じでした。最高齢の方は80歳以上のおばあちゃんでした。

 ヨンさまが世の中の女性の人生を変えたインパクトというのはすごかったですね。女性たちが自分の欲望とか悩みとかとフィットした号が作れると、本当に雑誌というのはヒットが生まれるのだということを体感したのが2004年でした」

5 講演の様子 RIMG6079
▼女性の悩みに企画の焦点を当てる

 浜田さんは、いろいろ女性の悩みを企画するときに、読者に会ったり、同級生との会話などからヒントを得るという。一度、『女たちは「幸せ」探しで人生を進化させる』という特集を企画した時、10年余りの間に『AERA』が企画した女性をテーマにしたタイトルを数えたところ、700タイトルを超えた。
 今は、「介護」や「医療」の問題が反響が大きいという。

▼「今さら何を言うか」安倍政権による女性の活用

 最近安倍政権になって、女性の管理職を一気に増やそうという動きがあるが、『AERA』では、15年ぐらい前から誌面で取り上げているテーマだ。「今さら何をと、本当は安倍さんに言いたい」と浜田さんはいう。女性管理職の登用に関する調査を2000年からやってきて、管理職を増やすためにはどうしたらいいかを報じてきた。2006年には「トヨタが変われば日本が変わる」という企画も特集し、女性登用の動き取り上げてきた。

 今後日本の労働力人口が減ることは自明で、日本は移民を受けるか、女性に活躍してもらういしかない。経団連の試算で2025年のGDPを国別に出すと、女性を活用した場合としない場合で順位が全然違ってくる。

 一方、女性もしたたかに賢くなってきている。リーマン・ショックなどを体験して、1回入った会社は、絶対に辞めないという女性も増えてきている。当然結婚もして出産もしたい。偉くならなくてもいいから、細く長く勤めて、夫と二馬力で家庭を安定させたいという女性が増えた。こういう女性たちをきちんと戦力にしている企業とそうでない企業の二極化が激しくなっている。だからいきなり、2020年に管理職の30%を女性にと言われても達成できるのは、先進的な企業だけだ。

 女性たちもいきなり、「管理職になれ」と言われても、その準備ができていないのですごく困っているのが正直なところ、管理職になって責任が重くなり、24時間仕事漬けみたいにもなりたくないので、管理職への昇進を躊躇している女性も多く、今、企業の悩みの種だ。

▼雑誌『VERY』が売れる真の理由―女性の本音

「今雑誌界で一番成功している雑誌は、『VERY』です。なぜ『VERY』があれだけ売れてあそこに広告が集中するのかというと、『VERY』が女性たちの欲望を凝縮しているからだと思います」と浜田さんはいう。「仕事はしているけども、家庭が第一。時短勤務で5時まで働き、子供が帰るときには家にいたい。仕事で家庭を犠牲にしているような、私みたいな働き方をしている人は、『VERY』を読んでは駄目なのです」と。
 「そして若い世代ほど、『VERY』的な生き方に憧れています。なりたいモデルとして、今最高ランクにあるのです。だから、安倍さんがどんなに尻をたたいても、なかなか管理職の女性が増えないのは女性の責任ばかりではない。日本社会の責任なのです」と浜田さんは指摘する。

▼社会へのインパクトを目指し「AERAワーキングマザー1000人委員会」を創設

 浜田さんは、女性も働いて自立することを応援する『AERA』の編集方針から「AERAワーキングマザー1000人委員会」(AERAワーママ委員会・https://twitter.com/AERA_mama)を、2014年4月に始めた。

「AERAワーママ委員会」の創設のきっかけは、雑誌だけで完結していたら、社会にインパクトを与えられないといういらだちがあったという。『AERA』の記者はこれまで1000人以上のワーキングマザーや働いている女性を取材してきたがなかなか世の中は働く女性にとって生きやすい社会にならない。それで、やはり自分たちが取材してきた、働く女性たちのネットワークを作って社会に何らかのインパクトが与えられないかということで始めたという。少しずつメンバーを増やして、今、Twitterのフォロワーは数千という規模になっている。

 『AERA』の紙面では「ワーママの肖像」として、いろいろなところで活躍しているワーキングマザーを取り上げたり、特集「変革するワーママたち」企画し、「AERAワーキングマザー1000人委員会」の掲示板もつくり、交流を深めている。今後は働く女性や働く母親に役に立つような商品やサービスがこのプロジェクトから開発されることも期待しているという。

▼「働く家族」をテーマにホワイト・ハウスでサミット―上智卒3人の女性が参加

 浜田さんは、2014年6月アメリカのオバマ大統領が、全米から女性を1500人集めた「White House Summit on Working Families」に出席した。このサミットには日本と韓国から社会のリーダー層の女性が5人ずつ招待をされた。日本から招待された5人のうち3人が上智卒。衆院議員の野田聖子さんとイーウーマン社長の佐々木かをりさん、そして浜田さんだったという。

 この会議を通して浜田さんは、「日本に対してのアメリカの視線をすごく感じました。女性の登用に関しては、アメリカからの圧力は今、日本と韓国の両方が受けていると感じ、韓国はものすごくドラスティックに変わっているという印象でした。安倍政権が女性の活用を叫ぶ始めた背景には、アメリカの影響がある。日本を経済的に発展させないとアメリカとしてもまずい。その経済的成長を維持させていくためには、女性の力を使わないのか、アメリカに一週間滞在し、いろいろな議員や役所、ベンチャー企業、シンクタンクなどを回っている間に何度も聞かれました。韓国はいち早く女性の登用、国会議員のクオータ制を実現させたりと進んでいることを実感しました」と語った。

 そして浜田さんは「私たちは私たち自身で、草の根から何かして変えていければなと思っています」と話した。

▼感想

 編集長の仕事は、大学の総長にたとえられるほどその権威と責任は重い。日本の今の今、働く女性の抱える心の悩みを捕らえ、雑誌に反映させる編集の腕捌きの冴えは見事というほかない。

 最後の質問コーナーで、「いろいろな分野で活躍している上智の先輩(特に女性)のネットワークは広く感謝している。情報のキャッチの仕方について、手帳に気になったことを常にメモして、見直して、やりたいと思うことは人に伝えるようにしている」と語られた。この方法は、三水会でも講演され、マスコミソフィア会・コムソフィア賞受賞者の博報堂ケトル社長の嶋浩一郎さんから影響を受けたそうだ。

 冴えわたった語り口の講演であっという間に時間がたった。そして、三水会の翌朝早くから、テレビ番組に前日と全く変わらないペースで出演され、鋭いコメントをされている浜田さんを拝見し、卓越されたエネルギーの持ち主であることを痛感した。

雑誌だけでなく各種のメディアや「AERAワーキングマザー1000人委員会」での今後の活躍も期待したい。
(まとめ:63法法 向山肇夫 77外独 山田洋子)

懇親会ウーマンネットワークメンバーと
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