■講演テーマ:「うたのチカラ ー 日本の音楽文化、著作権の変遷と最新の課題」
■日 時: 2015年02月18日(水) 18:30~20:30
■場 所: ソフィアンズ・クラブ
■講 師: 反畑誠一(たんばたせいいち)さん (’60年文学部新聞学科卒)
音楽評論家、立命館大学客員教授
■参加者数:30名
※この講演録は当日の同録音声から主要な箇所を文章に書き起こし加筆・修正したものです。
■反畑誠一さんプロフィール 文学部新聞学科卒業後、朝日新聞系広告代理店を経て1963年、株式会社 主婦と生活社に入社。「週刊女性」副編集長などを歴任し退職後、1983年より音楽評論活動に専念するため「反畑誠一事務所」を開設。 その後各メディアで活躍され、海外フィールドワークは、旧ソ連など25カ国余にのぼる。同時に(社)全国プロモーターズ協会理事や(一社)日本音楽著作権協会(JASRAC)理事などの要職を歴任、音楽業界の発展に貢献されている。 現在は、日本レコード大賞常任実行委員(元審査員)、立命館大学産業社会学部客員教授として音楽業界のみならず人材育成にも尽力されている。アジアの音楽市場研究の第一人者でもある。 並行して30年余にわたり時事通信社配信で全国各紙に毎週、音楽コラム「ヒットの周辺」を執筆中(関東圏では茨城新聞、上毛新聞、神奈川新聞は毎火曜掲載)。現在は終了したが長年にわたり、世田谷FMキー全国64局ネットで「反畑誠一のTHE BIG TIME」のパーソナリティを務めた。 |
反畑さんは、それら音楽文化活動の集大成とも言える、JASRAC創立75周年記念として「うたのチカラ」(集英社刊)を昨年11月に出版。これでは、昭和から平成に至るまでの日本の「うた」を生み出してきた人・時代・現場を400ページに渡ってまとめあげ、その編纂、監修を務められました。
今回はこの著書で表された「日本における著作権の変遷とグローバルな視点からの課題、ポピュラー音楽史にまつわるエピソード」などをお話しいただきます。
<反畑誠一氏>
■音楽の聴き方と唱法の変化
ご紹介にあずかりました反畑です。「うたのチカラ」(集英社)という本が昨年11月に発刊されまして、地味な内容なんですが、けっこう売れているらしいです。この中から私が執筆した部分も含めて、「うた」というものが我々にどんなチカラを与えてくれてきたのかについて、整理してお話したいと思います。
おかげさまで、私のような仕事をしていると、海外に勉強に行く機会も多かったんですが、今日の寒さと雨模様で思い出した旅の話から始めさせてください。
1998年、ドレスデンという町に行きました。旧東ドイツで、我々はベルリンの壁を越えて行きました。その前に陶磁器で有名なマイセンにも寄りました。なぜドレスデンに行ったかというと、「ゼンパー・オーパー」というオペラハウスがありまして、有名なノルマンディ大作戦の大空襲で大きな被害を受けた場所です。今はドイツ市民の手で復興させてあります(1985年復興完成、1990年ドイツ再統一に伴い州立の歌劇場に)。我々はかつてそこで上演されていた「ワーグナーの楽曲など」を再び観られるということで連れてっていただきました。
しかしながら8時(20時)から開演ですから、終わってホテルに戻ったのが11時30分くらい、外は華氏33度(摂氏だと1度くらい)、寒いのなんの、それなりの準備はしていったんですが、ホテルに着いた時にいただいた白湯の有りがたかったことを覚えています。
その時の旅行では、その後、列車でエルベ川を越えてチェコのプラハに抜けまして、プラハの国立劇場で音楽鑑賞などして回りました。ヴルタヴァ川にかかるカレル橋のたもともものすごく寒かったです。そんな寒い想い出ばかりの旅でした・・・。
今日お話するテーマの中に、音楽文化と著作権、権利をどうクリエイター制作者を保護し、安心して制作に取り掛かれるか、著作権の存在は、これだけのネット時代になっても、重要な権利の存在であり、それがあるから、文化が栄える、産業が栄えるという構造がありまして、その一方、ネットの登場によって、混乱も起きている、そんなところをお話していきたいと思います。
私はこの「うたのチカラ」を執筆するに当たって順守したことがあります。それは「平和であればこそ音楽が栄える」、「音楽文化があるからこそ平和である」ということ。
JASRACという、日本の音楽著作権の仲介業務法にしたがって誕生した管理団体があります。これが今年でちょうど創立75年になるわけです。
私が1937年(昭和12年)生まれで、その2年後の昭和14年に団体ができたんですが、ずっとこうまとめてみると、戦争の影が本当にたくさん出てまいります。戦争の影という観点から辿って行くと、今になってみると、表現をするという意味では、日本国憲法第21条、表現の自由を謳っているわけですが、これを守らなければ文化が栄えることはない、ということろに行き着くわけです。
<講演の様子>
またその後の「教育」ということが大きな役割を果たしてきました。6・3・3・4制、こうしたことが、音楽文化も含めて、日本の文化を誰もが享受できるようにしてきたこともわかってきます。
それと、我々は「ドレミファ・・・」であたりまえになっていますが、昔は「いろは」で表現した時代もありました。「ドレミファ・・・」は使うななんていう時代もあって、そこからも「音楽と時代」という観点から見ると、さまざまな変遷が見えてくるわけです。
「適正レコード」という言葉をお聞きになったことがある方いらっしゃるでしょうか。日本が太平洋戦争に突入してまもなく、レコードが、国の指令によって1000曲がピックアップされ、これ以外は放送してはならない、レコードにしてもならない、先ほど触れた表現の自由がどんどん衰退していきました。それは戦後に全廃されるわけですが、そんな時代もあった・・・。
音楽は我々にとってどんな存在なのか・・・。専門家の方の言葉を借りれば、私のような評論家は人様の言葉をお借りして置き換える商売なんですが笑、「音楽とは、自分がなにもしなくても存在しているもの」と言えます。
音楽というのは、自分でレコードをかけて聞くことはありますが、自然に音楽が入ってくる、生活の中に定着してくるものだと言うんです。全くもってそのとおりだと・・・。そういうことを本でお書きになってる方がいらっしゃたので、拝借させていただきました。
さらには、音楽は学ぶものではなく、自然の形で存在しているもの。
よく聞かれることなんですが、「音楽がわかる」「わからない」と言うことがありますが、音楽はわかるものではない。また音楽は感じる、感じないでもない、ごく自然な形で我々の生活の中に存在しているものなんです。
■音楽文化と時代
ソニー・ミュージックエンタテインメント(SME)の元社長の丸山茂雄さんという方がいらして、お父様はあの有名な「丸山ワクチン」を発明された方。その丸山さんが学生に向けてまとめられた大変素敵な言葉の数々があったので、私もメモらせていただきました。
まず、
「平安時代の宮廷にはクラッシク音楽は流れていなかった」
ということ。クラッシック音楽と我々が言っているものは、モーツアルトなど宮廷音楽から発したもの、平安時代の日本にも宮廷文化があったわけですが、日本にはクラッシクは流れていなかった、音楽はなかった。雅楽はあったかもしれませんが・・・。続いて・・・
「フランス革命のバスティーユ監獄前でブルースが奏でられることもなかった」
ブルースといえば、黒人の悲しみのうたと言われますが、フランス革命のあの場所では演奏はされなかった。文化交流がなかったので表現の方法としてのブルースはまだ伝えられていなかった・・・。
そして今日の
「バンドサウンドは、明治時代にはなかった、大正時代も昭和初期にも、第二次大戦直後だってほとんどの場所になかった」
バンドサウンドはせいぜいここ50年の歴史しかない。我々が聞いている音楽のほとんどは、ここ50年程度のものでしかないということがわかります。
さて、これから50年後にはどんな音楽のカタチになっていくのか・・・。シンセサイザーなどを使ったり、さまざまな進化を遂げいている音楽ですが、50年たったらどんなふうに変化していくんだろう・・・。
そして丸山さんの素敵な言葉・・・
「音楽は娯楽であり趣味でもあるが、文化の一部であると同時に文化そのものである」
確かにそう感じますね・・・。
■著作権の存在と保護、国際関係
これは今回の講演の大きな柱になるテーマです。
これは日本国内に限ったものではなく、世界にまで影響を及ぼし、国際条約まで結ぶ必要のあるもの。それはどういう意味かというと、音楽を作る人々、作詞作曲編曲家が世界をまたに持つ権利。難しいとか、説明できないとか、言われるかも知れませんが、日本著作権協会(JASRAC)の入社試験で、「小学生にもわかるように著作権について説明しなさい」という問題が出たそうです。
著作権とは「本・写真・歌詞・曲などの作者が持っている権利のこと、作者に無断でその作品を使うことができない」、ただし、作品は「世の中に出て初めて存在意義(著作権)が生じる」ということです。自分だけのものであるかぎり、創作物として認められないということなんですね。これは重要な意味をなしています。
さらに「この権利は国家間で文書化した国際条約で保護されている」ということになっています。これを歴史的に紐解くと、1886年9月9日の「文学的及び美術的著作物の保護に関するベルヌ条約」に始まり、発案者はビクトル・ユーゴー(レ・ミゼラブルの作者)なんですね。
いま著作権について大きな動きが起きています、それがTPPによる著作権の保護期間の延長問題。お手元に朝日新聞の記事をコピーして参りました。
私は法律家ではありませんが、著作権を勉強する機会がありました。アジアの著作権事情を2年間にわたって調査団を組んで調べたんです。ちょうどその時期は香港が中国に返還される時、或いは韓国はまだ日本語放送を禁じていた時代、国際著作権条約にも加盟していなかった。そんな状態で、著作権を国際的にどう運用すればいいのか、海賊版の宝庫でした。お互いに改革改善をしていかねば大きな損失を被る、ということで調査をしました。
朝日新聞の記事を読んでいただければ、著作権が国際的にどんな問題をはらんでいるかがわかってきます。それも法律家の目線というよりも、ジャーナリストの目線で考える必要が在ることも分かってきます。
この記事の中で重要なことは、TPP交渉では、日本の「作者の死後50年」を著作権保護期間とすることに対して「70年」に延長することを求めているんですが、日本の著作権使用料の国際収支がすでに約6200億円の赤字(2013年)であること、つまり海外への支払いのほうが多い、保護期間を延ばればさらに赤字がます可能性があるということになります。
そしてここからが重要、日本は第二次世界大戦で敗戦したことで、米国やカナダなど連合国15カ国の著作物に関しては、元々「死後50年」に10年の延長が義務付けられているため、TPP交渉を受け入れると保護期間は80年にまでなる可能性がある、さらに赤字が加算されるかもしれない・・・ということなんですね。
じゃあ敗戦したドイツはどうしたのか、イタリアはどうしたのか、これ違うんですよ。それぞれ独自の条約を国際的に結んでいるので、日本だけが負の条約を抱えているということにも注目する必要があるというわけなんです。
■音楽文化と時代、将来の課題
そして将来の課題。1939年、JASRACが誕生した昭和14年に日本の人口は約7200万人でした。この中には台湾約35万人、樺太約38万人、朝鮮約70万人、南洋諸島約9万人、満州国約150万人なども含まれていました。
それが、2008年の1億2808万人をピークに急速に高齢化と人口減少の一途を辿っています。その理由が、低賃金で長時間労働、そのために結婚が見えない若者たちの増加、だから人口が増えない。
若者が音楽に飛びついて日本文化の原動力になっていくわけですから、このままでは国までもが衰退していってしまう。このままであってはならない。
戦争、敗戦、復興、高度成長、不況、デジタル革命、東日本大震災、原発汚染、少子高齢化、そして人口減少、この75年間を表す絵本を見つけました。それが沖縄・与那国島の小学生・安里有生(あさとゆうき)さんの「へいわってすてきだね」(ブロンズ新社)
中から抜粋すると・・・
「へいわなせかい、へいわってすてきだね。これからも、ずっとへいわがつづくように、ぼくも、ぼくのできることからがんばるよ」
これに習って日本文化を謳えば・・・
「おんがくのせかい、おんがくってすてきだね、これからも、ずっとおんがくがつづくように、ぼくも、ぼくのできることからがんばるよ」
この言葉で私の講演を一区切りつけたいと思います。ご清聴ありがとうございました。(まとめ:土屋夏彦 ’80理電)
<講演後、懇親会の様子>
<参考図書>
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うたのチカラ JASRACリアルカウントと日本の音楽の未来 JASRAC創立75周年記念事業実行委員会 反畑 誠一 集英社 2014-11-18 |
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へいわってすてきだね 安里有生 長谷川義史 ブロンズ新社 2014-06-17 |