▼上智大学戦没者追悼ミサ
上智大学戦没者追悼ミサが、さる6月14日(日)13時半より聖イグナチオ教会マリア聖堂で厳かに開催されました。ミサは、上智大学戦没者追悼の会主催もとソフィア会・マスコミ・ソフィア会共催、上智学院・上智大学協力により学徒動員された先輩方を中心に約150名が参集しました。学徒動員組の先輩方もすでに90歳を超えて終戦70年の節目の年の記念にふさわしい追悼会となりました。
追悼ミサは、上智大学理事長髙祖敏明神父様の主司式のもとに行われ、SJハウス、カトリックセンター、聖歌隊、グリークラブとそのOB会の協力もいただきました。髙祖神父様は説教の中で、上智大学戦没者には日本人学生だけではなく台湾・朝鮮出身学生も含まれており共に冥福を祈りたいと訴えられました。
続いて共同祈願者の若林倫夫氏(1945経商)は、学徒動員された卒業生を代表し、また元ソフィア会会長の本多義人氏(1961経経)は、準備委員会を代表し、西丸なほみさん(1962外仏)は、父上(故志村正順氏)が昭和18年10月21日に神宮外苑競技場で行われた出陣学徒壮行会の実況放送アナウンサーを務められたご縁で、それぞれの立場から祈りを捧げました。
ミサの聖歌は、聖歌隊によってリードされ、グリークラブとOB会も加わり聖堂内は厳かな雰囲気に満たされました。
上智大学戦没者追悼の会は、学徒動員から無事戻られた11名の方々を中心、戦争を身近に知っている卒業生89名が発起人となり、今年4月に発足しました。発起人代表には、海軍航空隊特攻であった江副隆愛氏(1947文史)がなられ、今回の追悼ミサが実現しました。
▼写真展示された戦時下の上智大学の学園生活
追悼ミサに続いて、上智大学戦没者を偲ぶ会がヨセフホールで開かれました。同時にマスコミ・ソフィア会による戦時下の上智大学の学園生活と学徒動員による軍隊での写真展示もありました。
会は、最初に黙祷を捧げた後、主催者代表江副氏から追悼ミサ開催の感謝の言葉があり、続いて早下隆士学長そして学徒動員の経験のある九州から参加された大木章次郎神父(1952文哲)様からご挨拶をいただきました。本多代表からは、偲ぶ会の参加者107名への感謝の言葉と戦没者への「献杯」の発声がありました。
そして学徒動員組の7名の紹介と当時の体験談や歓談に移りました。昭和20年4月7日調布市上空でB29に体当たりしてこれを撃墜し、戦死した河野 敬氏(1941予科入学)の紹介、さらに特攻機の整備は当時の朝鮮出身者であったという中島重行氏(1944専新)の証言、入隊に際して家族に残した故諸橋晋六元ソフィア会会長の「遺書」と兵隊姿の写真などが順次紹介されました。
最後に戦没者を偲び「海ゆかば」、「同期の桜」そして「校歌」を合唱し、偲ぶ会を終了しました。以下当日の写真レポートもご参照ください。(レポート:風間 烈 ’65外仏・上智大学戦没者追悼の会発起人、写真:(株)フォウカス・高嶋正喜、上智大学資料室)
▼当日の現場での写真
<追悼ミサ(聖マリア聖堂)にて>
写真1髙祖敏明神父様の主司式により上智大学戦没者追悼ミサが始まった
写真2参列された学徒動員卒業生(中央右より江副隆愛氏・1947文史、神津友好氏・1947専新、上田早苗氏・1949経経、中島重行氏・1944専新、香川節氏・1945文史)
写真3学徒動員された卒業生を代表し共同祈願する若林倫夫氏(1945経商)
<上智大学戦没者を偲ぶ会(ヨセフホール)にて>
写真5会場ホール入口を飾った上智大学戦没者追悼ミサのポスター
写真6感涙し挨拶する江副氏(発起人代表)、左隣は偲ぶ会の司会を担当した筆者(風間烈)、髙祖理事長、早下隆士学長、大木章次郎神父
写真7戦没者への「献杯」の発声する元ソフィア会会長本多義人氏(1961経経・準備委員会代表)
写真11会場にはマスコミ・ソフィア会により戦時下の学園生活や学徒動員による軍隊での写真が展示された