■講演テーマ:東日本大震災被災地気仙沼での法律相談-4年間の軌跡
■講師:權田光洋(ごんだみつひろ)さん(1987法学部法律学科卒)
權田法律事務所 弁護士
■日時:2015年3月18日(水) 18時30分~21時
■場所:ソフィアンズ・クラブ
■参加者数:20名
講演会は,佐藤幹事による演者のプロフィール紹介と挨拶から始まった。
「今回は,2011年から東日本大震災の被災地で,ボランティアで法律相談の活動をされている權田光洋弁護士のお話しを伺うことにします。
權田さんは,東日本大震災を契機に,2011年5月から2ヵ月に1回,気仙沼市本吉地区を中心に継続的に住民の法律相談をされています。ボランティアで法律相談されているこれまでの経緯,相談内容,今後の課題などをお話しいただきます。この会場には,東日本大震災復興で細川護煕元首相がやられている『森の長城プロジェクト』にも参加されている方も多いので,たいへん興味のある話題かと思います」
▼プロフィール:
1989年弁護士登録。勤務弁護士を経て1994年に現法律事務所を開設。企業法務,一般民事事件等を扱う傍ら,紛争当事者が話し合いにより自らの知恵で紛争を解決することを中立の立場から支援する「調停(ADR)」をライフワークとしている。
調停関係では,東京地方裁判所民事22部所属調停委員,第二東京弁護士会仲裁センター仲裁人候補者,行政書士ADRセンター東京手続関与弁護士,原子力損害賠償紛争解決センター仲介委員等の職にある。そのほか,調停人養成のためのトレーナー,上智大学を会場とする大学対抗交渉コンペティションの審査も務めている。
▼住民に寄り添い仮設住宅がなくなるまで続ける
演者口上:「三水会にはよく参加させていただいていますが,ついに,今回は自分が講演をする立場になりました。本日は皆さん来ていただいてありがとうございます」となごやかな雰囲気の中,權田さんの話しははじまった。
▼想像を絶する東日本大震災の被害
「まず東日本大震災とはどのようなものだったのか数字データからご紹介します」と用意された2012年3月11日付の朝日新聞をみせがなら数字を紹介され,すさまじい被害のあったことを再確認された。
死者(東北地方全体)15,852 名
行方不明者 3,268 名
被災住宅 372,962 棟
(2012年2月末現在 朝日新聞2012年3月11日)
気仙沼市
死者 1,137 名(関連死107名)
行方不明者 226 名
被災住宅 15,815 棟(2014年3月31日現在)
(気仙沼市HP 2015年2月28日現在)
▼突き動かした被災地での法律相談活動の展開
權田さんの民間調停の仲間である静岡の司法書士の方が,震災後2週間で現地入りし,翌月の2011年4月に全国青年司法書士協議会の会議で現地での法律相談の必要性を訴えた。權田さんは,その司法書士の方から会議への参加を要請された。
会議では「大震災の翌月であり,日が経っていないのに法律相談というのはいかがなものか」という意見もあったが,「私が『だったら,いつならいいのか』という発言をしたため,法律相談活動を実施することとなり,自分が発言した手前かかわることになった」と語られた。
会議の結果,継続的にローテーションを組み,次のようなポイントで活動を開始することとなった。
現地入りして法律相談の存在を知ってもらう
一回だけでなく現地に寄り添い続ける
⇒毎週現地で法律相談活動をすることを決定
⇒中心部ではない,未だ手の届いていない地区に集中することにする
▼活動の経過
權田さんが初めて参加した2011年5月には,東京の司法書士とともに深夜に自動車で出発して現地入りした。当時気仙沼の宿は,マスコミ関係者等で満室だったので,1日活動をして一関にもどり宿泊。翌日再び一関から気仙沼に入り,夜に東京に戻った。当時は電力不足の影響もあり,東北自動車道のランプはすべて消えている状態で,車のヘッドライトだけで走行した。気仙沼に入ると,橋の欄干に自動車の残骸がぶら下がっていたり,建物の下層階がなくなり鉄筋だけが残っていたり,信号は全滅していたりと,津波の傷跡が残る生々しい状態だった。本吉地区の商工会の会議室をお借りして法律相談を実施し,また,避難所を訪問してリーダーの方に私たちの活動を説明し,被災の状況を伺った。自衛隊が災害出動し,各避難所の敷地にテントを張って活動していた。
以後,權田さんは,2ヶ月に1回,ローテーションの中で,本吉地区の商工会や仮設住宅集会所での法律相談活動を継続することとなった。
2012年になると,気仙沼で宿がとれるようになったので,復旧していた一ノ関-気仙沼間の在来線(大船渡線)を利用して気仙沼入りした。
權田さんは,2012年9月までは,司法書士のグループのローテーションの中で活動していたが,そのグループの活動が終了したため,2012年11月以降は一人で2ヶ月に1回の割合で気仙沼に行くこととなった。本吉地区の商工会での法律相談会を継続するとともに,階上地区の「NPO法人生活支援プロジェクトK」とも連携して活動することとし,2013年8月には,プロジェクトKのイベント活動の中で「よろず相談」ブースを設け,住民の皆さんの法律相談を担当した。
これまでの旅程は以下のとおり。
(權田さんの旅程)
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2011.5 自動車 東北自動車道一ノ関インター→気仙沼→一関(泊)→気仙沼→帰途
2011.7~11 東北新幹線→一ノ関駅レンタカー→気仙沼→一関(泊)→気仙沼→一ノ関駅 東北新幹線
2012.1~9 東北新幹線一ノ関駅→大船渡線気仙沼駅 レンタカー→気仙沼(泊)→気仙沼レンタカー→気仙沼駅→大船渡線一ノ関駅→東北新幹線
2012.11~ 東北新幹線一ノ関駅→大船渡線気仙沼駅→BRT本吉駅→BRT気仙沼駅(泊)→BRT陸前階上駅→BRT気仙沼駅→大船渡線一ノ関駅→東北新幹線
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▼住民の皆さんからの法律相談は一杯
続いてこれまでの合計22回以上にわたる相談活動について具体的に説明をされた。
相談内容は多岐にわたるという。仮設住宅では,薄い壁一枚を隔ててさまざまな人が生活をするので,いろいろな問題が起こってくるとも語られた。
(權田さんの法律相談)
-2011~2012-
①震災体験を伺う
② 津波による流出に関連する問題
・家屋
・車
・財産
③ 二重ローン
④ 休業・廃業
⑤ 避難所から仮設住宅へ
⑥ 危険区域の住宅地買取り
-2013-
①二重ローン問題
②震災に伴う相続
③遅れた支援制度申請
④仮設住宅生活長期化に伴う諸問題
・生活習慣の違い
・独居老人問題
・迷惑なボランティア
・リーダーの苦悩
-2014~2015-
① 復興工事に伴う諸問題
・雇用
・怪しい業者
②交通事故 被災地見学者と地元住民
③仮設住宅コミュニティの崩壊
④所得格差⇒取り残され感
⑤ 一般相談
・離婚,相続,生前贈与
・旧墓(他者の土地の一角に先祖伝来の墓の名残があり,慣習としてお参 りをしたり,手入れをしたりしている。その土地を処分するにあたり,旧墓のある敷地の権利関係や旧墓までの立ち入りの権利関係をどうするか??)
▼コミュニティの崩壊と働き手の不足
今後の問題については,次のような点を挙げられた。
① 住宅再建⇒集団移転・災害復興住宅
→移転に伴う諸問題
・仮設住宅コミュニティの崩壊 独居老人 「取り残され感」
② 産業復興
→人材不足 復興工事に人が取られる (地元産業で働く人がいない)
③ 防潮堤
→地元は防潮堤を望んでいない?
・仮設商店街や仮設住宅がなくなるのは、いつことか?
最後に「仮設住宅がなくなるまでは,この法律相談活動を継続していきたいと思います」と語られた。
▼質問コーナー
学生時代に学ばれたことと今回の活動との関連については,「東日本震災を受けて何かできないかというときに,法律相談という切り口で,ボランティア活動ができ,法学部を卒業してこの職業についていてよかったと思いました」と語られた。
最後に被災地でのボランティア活動をするにあたっての助言についての質問があったが,「2ヶ月に1回,気仙沼に行くのが自分の楽しみになっているので,皆さんも東北にいらして,あまり硬く考えずに,楽しんでいただければと思います」と語られて締めくくられた。
▼感想
いつも三水会会場でおめにかかる權田さんが,2011 年の震災以来,地道ながら,東北被災地でボランティアをされているというお話を伺い,たいへん感銘をうけた。淡々と講演をされたが,法律相談の実際は,たいへんな時期もおありになったのではと思った。今後の東北被災地でのさらなる活動をお祈りしたい。
(報告:1977年外独 山田洋子)