安保法案が成立
安保法案は9月19日未明成立した。参院平和安全法特別委員会をテレビで見ていたが、はたしてこれが採決されたのかがよく分からない。鴻池委員長への問責決議案が否決され、再び委員会室へ戻ったとたん採決したというのだが、議事録を見るとその証拠がなかった。再開した時間もないし、賛否を採ったこともない。さらに本会議で採決が行われた。
このような国会での紛糾場面が全世界へ報道されたことも、日本にとって大きな恥である。第二次世界大戦でも、政府や軍部が国の方針を誤った指導をしたのと同じように、ベトナム戦争やイラク戦争でも外国の政府は同じような誤りを犯している。
その一つの誤りだけではない。年月がたつとまた再び同じ誤りを繰り返す。その犠牲者は弱い立場の一般庶民である。
安全保障法案の骨子は「集団的自衛権の行使」「他国軍隊への後方支援の拡充」「国連PKO活動の拡充」「国連が主導していない国際平和協力への参加」「米軍などの武器等の防衛」「在外邦人の救出」「船舶検査活動の拡充」などである。
ちぐはぐな答弁
ただ審議をしている間、安倍晋三首相らの答弁にはあいまいさがただよう。法律に明記されていない「歯止め」をどうするのか。首相は14日の参院特別委で「今の国際情勢に照らせば、現実の問題として発生することは想定していない」と説明している。
首相によると、中東・ホルムズ海峡で、日本人母子の乗船する図を掲げて説明した米艦防衛は、邦人乗船の有無とはかかわりないのが分かった。このように曖昧模糊とした状況をそのままにして、法案を可決するのはおかしいのではないだろうか。
要するに答弁が前に言っている事と、後で言っている事が「ちぐはぐ」であるということは、問題点の「正体」がなくなってしまう。第二次世界大戦中、言論の自由を抑圧する法律はしだいに拡大してしまう事と同じである。
自立した若者の登場
これに対して一部の一般国民は国会へ抗議行動に出かけた。とくに若者や女性たちは自発的に国会へ出向いた。昔は政党支持のデモが多く、一般国民は参加しにくい傾向はあったといえよう。とくに若者にとっては兵隊にとられるのではないかという恐れもあろう。女性にとっては家庭を守る心配もある。若者が自らの問題でじっくり考え、一定の考えを表明するのは望ましい。公職選挙法の改正で18歳に選挙権が成立するのも、このような傾向を促進するのによいことである。
一部のマス・メディアの偏向
この安保法案を報道したマス・メディア(とくに新聞)は二つに分かれていた。朝日、毎日、東京は安保法案に反対。読売、産経、日経は安保法案に賛成。昔のように東京を中心とした全国紙が同じ報道をするのはよくないと思う。
しかし、安保法案に関しては、国会のデモをほとんどと言ってよいくらい報じなかった新聞があった。
その新聞の歴史を将来見たら、デモの写真がほとんどなかったということになりそう。それでよいのだろうか。賛成する、賛成しないにかかわらず写真はきちんと撮るべきであったと思う。
新たな民主主義への確立
これからは、とくに若者や女性を中心とした人びとに期待したい。新の「民主主義」を確立するのは若者の責任である。戦争中も、今も続く過度の「自主規制」からの離れるべき。自民党の中で正面から反対意見がでなかったのも、次の選挙への気遣いであろう。
(武市英雄(1960文英)メディア論、上智大学名誉教授)