欧州は再び「壁」をつくるのか 「難民危機」と「テロ」との戦い (2015/11/24)
最首公司(1956文新)
「ベルリンの壁」が取り壊されて、この11月9日で満26年になる。その8日ほど前の11月1日、壁取り壊しのきっかけ作ったジャボスキー・ギュンター氏がベルリン市内で86歳の生涯を閉じた。
1989年11月9日、東ドイツ共産党政治局員で報道担当だった同氏が、党が決定した「西ベルリンへの通行自由化」を発表した が、このとき記者団から「それはいつから?」という問いに、一瞬考えたあと「直ちに」と応じた。これがきっかけで東ベルリン市民 は検問所に殺到、あふれた市民は「壁」を乗り越え、そして壊し始める。この市民の動きが加速、増幅されて津波のごとく反政府運動 に高まり、ウルブリヒト東独政権が倒れ、東西ドイツ統一が実現し、遂には東西冷戦を閉幕させるエネルギ-にまで高まった。もしも あの時彼が「時期はこれから決める」と答えていたら・・・。
写真1 「古代バビロニア・イシュタール門」。もし、ISがユーフラテス河畔を占領したら破壊しているかもしれない。
たまたま欧州回遊中だったので、「ベルリンの壁」の跡地を見ておこうと、ベルリンへ飛んだ。宿は観光名所の「博物館島」にある ビジネスホテル。歩いて博物館や美術館に行けるし、メトロ、バス利用で「壁」が保存されている旧検問所「チャーリー・チェックポ イント」にも簡単に行ける。近くには欧州一の高さを誇るテレビ塔や大聖堂もある。
一歩外に出て目についたのは物乞いの多さだった。ホテルを出た大通り、メトロ入口、出札所の前、車内にはギターやバンドネオン を弾きながら小銭を集めてまわる中高年者。大聖堂広場のベンチで休んでいたら「英語が読めるか?」と近づいてきた老女が紙片を差し出した。道を尋ねているのかと思って読んだら「スロベニアから逃げてきた。お金を恵んで」という内容だった。
写真2 かつて検問所があった「チャーリー・チェックポイント」。いまは観光名所で売店になっている。
難民、移民にやさしいといわれるドイツだが、さすがに限界がきたようで、メディアは「Refugee Crisis」(難民危機)と呼び、国民に拒否反応が出てきたことを報じている。すでにハンガリーは難民受け入れを拒否して「壁」を設けた。EUとアフリ カ首脳による難民の帰還対策会議がマルタで開かれた。
このあと、ロンドン経由で無事に帰国したが、1日遅れてパリ経由にしたら「パリ同時多発テロ」に遭遇していたかもしれない。欧州の「反難民」ムードは益々強まり、現実の「壁」の前に「心の壁」ができるだろう。実はこれこそが、自爆テロを仕掛けたISの狙いだ。先進国での民族間対立や宗派間憎悪を拡大させ、社会全体に動揺を与えながら不安や不満をたぎらせた若者たちを釣り上げていくからだ。(エネルギー・フォーラム誌電子版からの転載)