■講演テーマ: 「海外ファッション・ブランドとグローバルビジネス」~バブルから現在
■日時: 2015年7月15日(水) 18:30~21:00
■場所:ソフィアンズ・クラブ
■講師: 小田靖忠(おだやすただ)さん(1966年文学部新聞学科卒)
セント・ジョン株式会社 元代表取締役
■参加者数:30名
<プロフィール>
卒業後広告代理店「マッキャン・エリクソン博報堂」に入社。1990年「ヒューゴ・ボス・ジャパン」社長に就任しファッション業界へ。その後、1992年に「ダナキャラン」の日本代表をはじめ、多くの外資系企業代表を歴任。2002年からは「セント・ジョン」の社長を務めるなど、海外ブランドのファッション業界で活躍。現在同社の日本撤退に伴い、同社特別清算人に従事。卒業以来15社の代表取締役を歴任し、海外ブランドの世界で手腕を発揮してこられたファッション業界屈指の鉄人。
外資系(ブランド)社長業を生きぬく
―海外ファッション・ブランドとグローバルビジネス―
▼オープニング
黒水幹事「今回、ファッション業界週刊誌『WWD Japan 』に小田さんの連載インタビューを拝見して、講演のお願いをいたしました。小田さんが代表を歴任されてきた外資系ファッション業界は、まさにグローバルビジネスの只中にあり、海外ブランドは世界資本の変化の中で時にその主を変え、グローバル企業として生き続けています。1990年代は、まさに日本のバブル経済とその終焉でした。小田さんは、多くの海外ファッション企業の日本代表として企業を率いてこられ、その中で体験されたビジネスの真髄とその裏側を今日お話しいただきます。また、いやでもグローバル化する社会での、これからの日本の立ち位置についてお話しいただきます」
講演は、配布されたレジュメとWWD連載コピー(2015年5月25日~6月29日)を参考にしながら進められた。
▼講師口上
「私は、ファッション業界の週刊誌「WWD Japan」のコラム『ファッション業界人物列伝―あの時、私は―』に6回連載のインタビュー記事が掲載されたのを機会に今回の黒水さんより講演依頼があり、お受けしました。この話が、少しでも現役の方のお役に立てればと思います。
今日は、『私の職業は社長職』ということでお話しをさせていただきます。私は、ファッション業界の人材育成機構という団体の講師をやっていた関係で、いくつかの大学でもファッションビジネスの話をしたことがあります。私の話の刺激をうけてチャレンジをしてくれている後輩もいますので、世の中に『社長業』というものが存在するということもお話しの材料になるかと思います」と。
小田さんの軽快な語り口で講演はスタートした。
▼特出した外資系企業での“職業は社長業”という経験
まずご自分の経歴のユニークな点について述べられた。
「2015年6月22日に12年やった社長をやった会社の清算が終わり、その結果私の50年のサラリーマン人生は終わったと思い、ファッション業界の週刊誌「WWD」のインタビューを受けました。私は大学卒業後、外資系企業でしか働いたことがなく、日本に進出してくる海外の会社の日本子会社を作ってきました。また、過去50年間で正式に12社の転職をし、後半は社長または、メインの会社をやりながら、依頼された企業も含め、15社ほどの会社の社長もやってきたことが、他の方とは異なるユニークな点だと思います。自分で望んだわけではないが、だんだん自分の志向性で、それを実現するためにそのようなキャリアになりました。中には1年で閉鎖された企業もありますが、最後の会社で最長12年ほど在籍しました」
▼最初は外資系広告代理店でキャリアを磨く
小田さんの経歴の前半は広告代理店で、後半はクライアントサイドのファッションブランドメーカーでキャリアを積まれたという。
「新卒で入社したのは、外資系大手広告代理店です。自分のキャリアの特徴として前半の約20年は広告代理店で、学生時代、新聞学科で学び、『広告研究会』も作り勉強したので、Account Executive (AE)として、広告代理店で活躍するのが夢でしたが、最初に入った広告代理店では、媒体部という希望とは異なる部署だったので、どうしてもAEをやりたくて、約2年後、他の広告代理店に転職をしました。後半は、クライアントサイドで仕事をしたくなり、20社ほど面接を受けて、転職をしました」と語られた。
昭和41年卒で、約2年で在籍した広告代理店の同期の半分の人は転職をしていたそうだ。その当時は、日本の資本自由化により、アメリカ中心に外資系企業が参入し、それに伴い大手アメリカの広告代理店が日本に進出してきた時代でもあった。
小田さんは、「日本の広告代理店はメディアを代表しますが、外資系の広告代理店は、クライアントサイドを代表する立場で、販促、コミュニケーションをはじめ、マーケティングの勉強は自分なりにやりました」と振り返られた。
▼人種差別が少ない日本の海外ブランド企業
クライアントサイドのメーカーに転職後、経験されたグローバル企業の特徴にも触れられながら、某フランス系企業で知り合ったギリシア系ルーマニア人の経歴も紹介された。「世界でもこれだけ多くの海外ブランドを扱い人種差別がないのは、日本だけですね。民族とその国、自国の人間を最優先するという意味で、日本もそうかもしれないかもしれないが、育った環境の中では、差別は感じていません。外資系における差別というのは経験しないとわかりません」とグローバル企業のある側面についても語られた。
その後、転職されたファッション業界の話題や裏話(ファッション業界週刊誌WWDJapanに掲載)に触れられ、会場の参加者全員は、興味深く小田さんの話に引き込まれた。
▼世界の常識―ファッション産業は経営のプロに任せろ!
小田さんは、最後に在籍された米国系ファッション企業では、CEOの電話ひとつで日本撤退を余儀なくされたという。アメリカはファンドの力が強く、ビジネスとして考えると、ファッション産業は、「生」のデザイナーがブランドを成功・継続させるのが難しく、経営はプロの経営者に任せないと存続は厳しいと強調された。
東日本大震災の救済で個人ファンド等、ビジネスのファンドのはたす役割が変わってきたが、ご自身は社長代行業をしながら会社を監視し、CEOをサポートするような仕事も受けるようになり、『社長業』というようになった。
▼世界的ブランド企業には文化がある
小田さんは世界有数のブランドメーカー数社に転職されたが、ご自身の経験から、キャリア形成のヒントにもついてふれられた。
(資料:Career Development クリックで拡大)
「各世界的ブランドには文化があり、そのビジネスが独自のMARKETING戦略を取り入れていることを、実務をとおして、吸収し、自分のキャリアを創ってきた」と語られた。
小田さんは留学経験はないが、今でいうMBAをとると、若くしてマネジメント職になれるチャンスは多いので、よいのではないか。また、フランスの大企業では、人を国際的に育てる余裕があるが、日本企業は、まだそこまでのレベルに達していない。英語ができでもマネジメントができる人間は、日本ではまだ少ないのが、たいへん残念で、もっと人を育て、外に出すことが大切ではないか、また、海外の企業においても学閥、人種差別はあたりまえで、競争はあったほうがよいと思うが、ビジネスの世界でのグローバルな教育は日本ではもっと必要であるとも語られた。
▼業界トップの専門領域を持つことが転職の武器
小田さんは転職を何社も経験されているが、自分の専門領域をもって転職し、できれば業界のトップにいくというのが大切であり、さらにマネジメントに必要な5つのセンスを強調された。特に柔軟に即対応することとリスクマネジメントの大切さを訴えられた。
(資料 マネジメントに必要な5つのセンス ※クリックで拡大)
▼質問コーナー
高級ブランドファッション業界の現状については、「どこも業績は厳しいが、ユニクロのようなファーストファッションの進出で、ターゲッティングが特に難しい時代であることや、むずかしいビジネスでも、ファッションビジネスにチャレンジする人がいるのは、クリエィティブで夢があるからだが、ビジネスを拡大しようとすると失敗する危険も大きい」と述べられた。また日本の経営者は採算のあわない部門を切り捨てられないのが問題ではないか等、現在の日本経済について、外資系トップを歩んでいらした小田さんと興味深い意見交換があった。
▼感想
三水会には、松尾幹事(オンワード)をはじめ小田さんのようなファッション業界の重鎮もおられ、さまざまな分野で活躍されている卒業生の層の厚さを感じた。外資系の同じ分野で仕事をしてきた自分にとっても、海外本社のトップの判断で、想定外で、目まぐるしく変化する状況にいかに即対応してリスク回避するのか様々な経験をされてきた小田先輩の有益なお話しであった。最近グローバル化という言葉とは反対に、若者の就職も安全志向が増えている印象を個人的にはもっているが、ぜひ後輩の人たちには、小田さんのように世界に通じる経営のプロなってもらえればと思った。(報告 山田洋子 ’77外独)