アメリカの英雄的戦艦ミズリー号甲板に残る神風特攻兵の海軍葬跡

 「Remember Pearl Harbor」は、アメリカ国民だけなく、我々日本人にも重い記憶を迫っていることをこの3月この地を訪問し自覚した。

 今ハワイは、若い二人のハネムーンのメッカになっているが、76年前、中でもオワフ島真珠湾は日米開戦の火ぶたが切られた戦場であった。1941年12月7日朝、日本海軍戦闘機による奇襲で、アメリカの戦艦をはじめ航空機隊、石油タンクなど港の海軍軍事施設は壊滅的破壊を蒙った。

 今もこの真珠湾のアメリカ海軍基地には、この時の爆撃により沈没した戦艦アリゾナ号の上に記念館があり、相対するように戦争終結の調印式を施行した戦艦ミズリー号が係留され、多くのアメリカ人が訪れる場所でもある。

 特にミズリー号は、第二次世界大戦、その後の朝鮮戦争、湾岸戦争にも参戦し活躍したアメリカ海軍の英雄的戦艦であるといわれている。この戦艦は沖縄戦に参戦した時、突入してきた神風特攻機により火災に見舞われたが、乗組員の必死の消火活動で沈没を免れている。甲板には、この神風特攻機による戦跡記念パネルが展示されている。

▼「祖国に命を懸けた若者の死は敵も味方も無い」

 パネル解説によれば、1945年4月11日沖縄戦に向けて九州鹿屋を出撃した神風特攻機は、戦火をかいくぐり低空でミズリー号右舷に当たり、甲板が火災を起こした。乗組員の必死の消火活動で鎮火したが、甲板には、特攻機搭乗員の血まみれの遺体の一部が特攻機操縦席から回収された。

 ミズリー号ウィリアム・キャラハン艦長は、多くの乗組員の反対意見にもかかわらず「祖国に命を懸けた若者の死には敵も味方も無い」と海軍葬を命じた。翌12日遺体は、急遽作られた日の丸国旗に包まれ水葬されたという。展示には、海軍葬さらに日本の搭乗兵と家族写真が掲載されている。

 この展示パネルは、アメリカ国民に祖国を守るとはどういうことか無言に教えているように見れる。
戦艦ミズリー号ウィリアム・キャラハン艦長には、戦争の持つ非情さを透徹したリーダ―シップに感心せざるをない。(向山肇夫 1963年法法・日本ペンクラブ会員)

3_真珠湾アメリカ海軍基地係留されている戦艦ミズリー号(手前)800x600写真1 真珠湾のアメリカ海軍基地内に係留されている戦艦ミズリー号(手前)と戦艦アリゾナ記念館

4_水葬するミズリー号乗組員と海軍葬を命じたウィリアム・キャラハン艦長と神風特攻隊員と家族800x600写真2 水葬する乗組員と海軍葬を命じたウィリアム・キャラハン艦長と搭乗兵・家族写真パネル

1_ミズリー号右舷に残る特攻機突入跡800x600写真3 戦艦ミズリー号右舷に残る神風特攻機突入跡

2_戦艦ミズリ-号甲板に残る神風特攻隊員遺体水葬会葬者の足跡600x800写真4 ミズリー号甲板に残る特攻隊員遺体水葬会葬者の足跡