新しい文明史観・「縄文道」に酔う
マスコミ・ソフィア会年末 講演とワインの会開催

日時: 2018年12月10日(月)18:30〜
場所: 6号館ソフィアンズクラブA・B会議室

マスコミ・ソフィア会年末恒例の講演とワインの会が、12月10日(月)18時半より6号館ソフィアンズクラブ会議室で開催されました。講演会の講師には、今年の縄文ブームを象徴する「縄文道」を提唱する加藤春一氏(1968経・経 縄文道研究所代表理事)が「今こそ、知ろう縄文道―超グローバル時代を生きぬくカギはここにある」を熱演しました(講演会要旨別掲)。講演会が終わって参加者は、ワインを片手に加藤氏を囲んで歓談しました。


●マスコミ・ソフィア会年末 講演とワインの会要旨●
今こそ、知ろう「縄文道」(JOMONDO)
―超グローバル時代を生きぬくカギはここにある

加藤春一(1968経・経 縄文道研究所代表理事)

▼2018年は縄文ブーム、“縄文元年”を迎えた

2018年は、縄文元年といわれるに相応しい年でもありました。
春には、山岡信貴監督による映画「縄文にハマる人々」の上映が全国各地で始まり、7月には上野東京博物館で「縄文―一万年の美の鼓動」展があり、これには30万人以上の人々が鑑賞に押しかけました。この縄文展は、パリに移動し10月17日から開催され、外遊中の安倍首相も鑑賞されました。さらに現在北海道、東北3県18カ所の縄文遺跡が世界文化遺産登録に向けて動き出していると聞きます。

加えて出版不況といわれるのにもかかわらず、今年は縄文に関する本特に思想、精神を指向した関連書籍が多数刊行されました。ここにお見せする小林達雄著『縄文文化が日本人の未来を拓く』(徳間書店刊)がその最たるものです。
さらには世界的なオークションが行われるロンドンのサザビーズでは、縄文土器、土偶が驚くなかれ2億円で落札されたようです。2020年にはオリンピックが東京で開催されますが、その聖火台を縄文の火焔土器がモチーフでといった動きもあります。まさに縄文ブームといっても過言ではありません。

では、なぜこのように縄文が脚光を浴びてきたかといえば、日本の高度成長に伴い新幹線、高速道路など全国いたるところの大土木工事ともない多くの縄文遺跡、土器類の発掘があったことや、コンピューターの進歩により、これらの考古学情報の集積があったことにもよります。さらに人骨のDNA解析研究が進んだことで、縄文人の姿がわかるようになったことも大きいです。
私は、長年縄文研究の成果をひろめるため「縄文道」という言葉とその意図する内容を特許庁に申請し、2018年1月12日に許可されました。「縄文道」については、後で触れます。

▼数字で見る縄文文明・文化の姿

次に縄文文明というか文化を、数字からお話ししてみます。
まず13,000という数字です。縄文文明というか文化は、13,000年前に存在したということです。
従来「世界の四大文明」といわれますが、これは中国の歴史家粱啓超が唱えた史観によるBC3,000-BC2,000頃の黄河・長江、そして同じころのメソポタミア、エジプト、インダスをさしますが、縄文は今から13,000年前、四大文明より前に存在したという、これまでの世界の文明史観の転換を迫るものです。
次に7000という数字です。2018年日本全国各地で縄文に関する遺跡が、7000カ所あまり発掘され、これに関する研究論文も多数発表されています。これらのことから縄文人の世界がだんだん判ってきました。
さらに驚くことに7000年前、発掘された物に漆が日常的にいろいろ使用されていました。漆は英語でジャパンといわれていますが、日本には漆を扱う技術があり、いわば漆文化があったわけです。
そして食べ物としては、漁労、狩猟生活だったところから動物、鳥、魚、貝、穀物など1,500種類のものを食していました。いわばグルメだったわけです。竪穴式住居に住んでいて、人口は約26万人。発見された1、000の人骨のDNAから、男子の身長が157-160㎝、女子は147-150㎝ 寿命30才前後ではなかったかといわれています。母系社会で、人骨のチエックから人に対する殺傷率は、1.1%で大陸の世界文明の殺傷率が平均12%であったことと比較すると、これは武器の使用が少なく平和な生活だったことが判ります。
特に縄文の最盛期は、今から5,470年前から4,420年前と約1050年間にわたり続いた縄文中期といえます。これは日本の歴史でも最も輝いた時期で、世界の四大文明の黄河・長江、メソポタミア、エジプト、インダスのピーク時と重なります。この時期、青森県の三内丸山遺跡、新潟県の縄文火炎土器、長野県の縄文ビーナスや山形県の縄文女神といわれるものがありますが、いずれも現在国宝に指定されています。
このように少しずつ縄文の世界がお判りになってきたと思いますが、私たちが今存在することは、縄文のDNAが物的にも精神的にも残されていることになります。

▼縄文に貢献した3人の人物

そして私はここに、縄文に貢献した3人の人物を挙げたいと思います。
一人は、動物学者のエドワード・モース博士です。1877年6月、彼は明治政府の要請でお雇い外国人として来日し、大森貝塚を発見したことで有名です。彼は、横浜から新橋まで汽車に乗って大森近くの丘を見て、ここに何かがあると直感し、東京大学に着任後人を連れて発掘し、貝に混じって出てきた土器にある縄の目の文様を見てCord Marked Pottery,「縄文土器」と命名しました、これが縄文土器のいわれです。
彼の偉大なところは、全国各地を回り芸術作品をはじめあらゆるものを収集し、アメリカに約14000点送り、今もそれがピーボディ・エセックス博物館に展示されていますが、オランダのシーボルト博物館にならび称せられるほどです。そして関東大震災の時には、彼の遺言で東京大学に12000冊の洋書を遺贈したことです。
二人目は画家の岡本太郎です。彼は戦前パリに留学し、帰国後1951年11月7日上野の国立東京博物館で縄文土器を見て、本能的に直観し、縄文土器の発するエネルギーとバイタリティーに驚いて、日本の過去の絵画に失望していた彼が180度考え方を変えたわけです。「こんな素晴らしいものが日本にある」と、そこで彼は『四次元との対話―縄文土器論』という論文を雑誌「みずゑ」に寄稿し、それが本になりました。私は、今から30年前に赴任していたオーストリアのパースでこの本を見つけ感銘し、私は祖先が陶芸の加藤藤四郎景正という関係もあり縄文土器に取り憑かれるきっかけにもなりました。
三人目に挙げるのは、京都大学の哲学者の梅原猛先生です。梅原先生は、1995年三内丸山発掘の後、現地に行き、そこにある巨大な敷地にある住居跡や残された膨大な土器、土偶、環状列石そして4階建てのビルに相当する巨大な6本の柱の建造物、これは今現在の技術からも見ても大変なものですが、これは明らかに「縄文文明だ」と提唱しました。そして梅原先生は、日本の歴史の中であらゆる困難を乗りきる精神は、縄文時代に形成された三つの精神とも指摘されています。それは、環境適応力、復元力、日本化力(換骨奪胎力)だと。
縄文文明といわれるものは、世界四大文明の大部分が農業から始まり、鉄器を使用し、楔形文字、甲骨文字を使用し、都市化しそして砂漠化していったのに比較して木の文明であり、現在も日本には森林が残り環境保全が出来ていることです。縄文は自然と共存した文明ともいえます。現代文明を総体化して考えた時、一理あると思われます。

▼7つの仮説設定に見る特許庁に申請・許可された縄文道

それでは、なぜ私が縄文道を特許庁に申請したかをお話しします。
その申請した縄文道は、7つの要素から構成されています。(図参照)

私はこれまで商社で30年、それから人材紹介の仕事を20年やってきました。その間の体験と思索から縄文道について考えを膨らましてきました。
1つ目は、「普遍の道」。自然の道、再生の道、自然との対話による共存、共生です。
2つ目は、「平和の道」、これは13000年の間人間が殺傷する武器をつくらなかったことから、三内丸山遺跡の暮らしを見ても規模が500人程度で争いも少なく平和な生活ができた。このことが我々のDNAにビルトインされていることです。
3つ目は、「母性の道」、これは国連のSustainable Development Goalsの多様性重視の価値観に一致するものです。縄文の三内丸山では、狩猟、採取生活の中で女性は、家を守り、家事もし子供を育てていました。出土した土偶からも女性は尊敬されていたことが判ります。これは多くの考古学者も認めています。日本では、サイフを握るのは女性ですが、西洋では男です。今でも日本では女性であることから、ルーツは縄文にありということになります(笑)。母性重視、つまり今でいう男女協働参画社会があったわけです。
4つ目は「公平の道」です。貨幣経済でなかったことで、富の分配が平等にされていました。狩猟、採取生活の中で獲得した食糧が平等に与えられたため紛争も少なかったわけです。
これらの4つの道は、2年前国連で採択されたSustainable Development Goalsの価値観とも一致します。
その次に「大和の道」についてお話しします。
これは、まず1に「芸術の道」です。日本の陶磁器の歴史はいうまでもなく絵画、彫刻、 日本庭園、日本建築など日本固有の美がジャポニズムとして欧米でも高く評価されています。
第2に「科学技術の道」です。私は商社に勤務し、土とは縁が深くこれまで日本への鉱物資源輸入に従事してきました。特に鉄鉱石では日本の鉄が世界を席巻し、「鉄は国家なり」という時代、製鉄所の担当者と南アフリカ、インド、南米、豪州と世界を股に仕事をしてきました。今や世界的な競争の中にある半導体の原料でもあるシリカにも関係してきました。先祖が陶芸家だったせいかよくよく土とは縁が深いことを感じます。
縄文人が土器を作ったことは、私は、文明論からも偉大であったと考えます。なぜなら土器を作るには、土を探し、処理し、水を使用し固め、500度から800度に加熱し完成します。物理的、化学的な知識はともかくとして、ある程度の知識の集積がないと出来ないことです。
日本の土器は、縄文、弥生と続き、それから土師器になり備前、丹波、越前、信楽、常滑、瀬戸と六古窯が生まれます。そして私の祖先加藤藤四郎景正は、1223年から1228年、道元禅師に同行し、南宋で中国陶器学び帰国しました。その後、秀吉は14万人の朝鮮出兵をし、1592年の文禄・1598年の慶長の戦いを2回行いますが、その時朝鮮から陶工2万人に連れ帰ってきたといわれます。日本は中国、朝鮮からの影響も受け、土器から陶器そして磁器へと歴史をたどります。そんな中でも陶工李参平が九州有田でカオリンを発見して、1612年日本でも柿衛門はじめ、優れた磁器が生産されるようになりました。当時中国の景徳鎮が地震で磁器生産が出来なくなり、有田の磁器は、以後伊万里港から東インド会社を通じて40年間約400万個の磁器が欧州貴族に輸出されることになりました。これを当時の貴族が、愛玩しました。有田は、世界最大の磁器輸出生産基地であったわけです。欧州では、1700年初頭から伊万里のコピーであるマイセン磁器さらにアウガルテン、ロイヤルコペンハーゲン、セーブル、デルフト、ウエッジウッドなどの磁器が出てきました。
明治になり富国強兵殖産政策として陶磁器は、生糸、お茶の3大輸出品として近代日本の形成に寄与しています。戦後では、コンピューターの発達があり、それは半導体の歴史でもあります。その半導体の原料であるシリカ、これはアメリカの有名な都市シリコンバレーの名前の元にもなっていますが、日本の信越化学が世界の半導体ウエハーの65%を握って今に至っています。
このように縄文土器から現代に続く「技術の道」が日本にはあります。そして次にお話しします「武士道」を入れて縄文道は、7つの仮説から構成されるのです。

▼武士道以前の日本人の精神性を解明する縄文道

「武士道」についてお話ししたいと思います。
武士道は、有名な新渡戸稲造博士が国際連盟理事としてジュネーブに駐在していた時代にベルギーを訪問した時、「日本人の道徳、さらには宗教教育をどうしているか」というある政治学者の問いが契機になり執筆し、世界的なベストセラーになった本です。
私も、この本を英語で読みましたが難解です。要は、BC660年神武天皇以降の日本の神道、仏教、儒教、道教を全部あわせ、日本人の道徳規範としてとらえ、これを「武士道」として著したように思います。それが世界的に大ヒットしたわけです。
私は、BC660年神武天皇以前の13000年の日本人の精神性を考え、武士道も加えて縄文道として提唱して行きます。ゆくゆくは、縄文道については英語で書こうとも思っています。

▼新縄文人の育成が火急の課題:

現在日本は、大きな10の課題に直面しています。それは,
1.進む少子高齢化、2.財政危機、3.科学技術力の低下、4.経済力の低下、5.環境問題それに原子力問題も未解決のままです。6.国土のインフラの脆弱性、7.社会保障、年金、医療制度は存続危機です。そして8.雇用の格差拡大、9.政財官学のリーダーの倫理観欠如が挙げられます。最後の10は、日本人の総合的人間力の劣化です。
さらに日本だけでなく世界が現在直面する7つの大変革を挙げてみると、
1に「エネルギー革命」です。石炭・石油から太陽、風力、水力、波力、バイオマスといった自然再生エネルギーへの転換が進んでいます。
2に「素材革命」です。鉄鋼からアルミニウムーファインセラミックそしてカーボン繊維と移っています。
3には「コミュニケイション革命」です。従来の印刷、電話媒体から、インターネット、携帯、iphone、動画サイトと。
さらに4には「輸送革命」が挙げられます。電気自動車、自動運転車そしてリニア鉄道が出来ると東京から名古屋までが45分なり、その間の人口が7000万人、これは世界でも稀な大きな経済圏が誕生します。
5に「製造革命」です。重厚長大から軽薄短小へさらにナノテクノロジーに物の生産が移行しています。
6には「物流革命」です。従来の百貨店、スーパー、コンビニから-グーグル、楽天といったインターネット販売に移っています。
7には「医療、医薬品革命」です。バイオ、ips細胞、脳の開発、クローン革命が進んでいます。
私は、このような10の課題解決と7つの変革を乗り切り、日本人として超グローバル時代に生き残り、世界に発信するためには「縄文インテリジェンス」が求められると思います。そして何によりも縄文インテリジェンスをもった「新縄文人の誕生」が火急の課題です。
それでは新縄文人とは、という問いに対して、私は縄文道と武士道の精神性を有してグローバルなデジタル思考が出来る7Cをもった人材と考えます。
7Cを兼ねる人材とは、1にCOMMOM SENSE 、 2にCOMMONLY USEFUL SKILL&KNOWLEDGE、3にCOMPETANT、 4にCOMMUNICATION SKILL、 5.にCOMPLIANCE 、6にCOOPERATIVE MIND 、7にCULTURALLY BARRIER FREEこの7つのCを持つ人材こそ、これからの21世紀の未来を生きる日本人つまり「新縄文人」だと考えます。(拍手)

photo01写真1 満員の会場で講演する加藤氏

photo02写真2 縄文人が使用していたといわれるオノマトぺ(擬音語)を朗読する山本明夫マスコミ・ソフィア会常任幹事

photo03写真3 懇親会で乾杯の音頭をとる石川雅弥ソフィア会副会長

photo04写真4 懇親会でワインを片手に質問に答える加藤氏

縄文道コンセプト800x600図 縄文道コンセプト