今月の「幹事会だより」は山田洋子(1977外独)が担当します。

曾祖父と琵琶湖疎水

私の父方は京都にルーツがありますが、戦後に東京へ居を移し、祖母や父、その兄妹の世代は京都で育った京都の人々です。しかし、私は東京で生まれ育ったため、東京の人間(よそ者)です。自分の家族のことでありながら、父方のことについてはあまり知らされないまま現在に至っております。ところが、今年伯母が亡くなり、京都のお寺に伺う機会が増えました。その際、お寺の方に、曾祖父の山田忠三が琵琶湖疎水工事の技師をしていたことをお話ししたところ、その直後、琵琶湖疎水施設の24か所が重要文化財に(そのうち5か所が国宝に)指定されることになりました。それにより、急に琵琶湖疎水が脚光を浴びることになりました。そしてお寺のご縁で、疎水事業の研究者であるKさんをご紹介いただきました。

琵琶湖疎水工事は1890年(明治23年)に竣工しました。日本の土木工事の基礎を築いたといわれる田邊朔郎博士(当時若干21歳)が工事主任に抜擢されて進められましたが、Kさんの調査によりますと、山田忠三は田邊博士を陰で支えた人物であったそうです。さらに不思議なのは、ある時期に「竹内」忠三と姓を変え、「本願寺水道」という大きな工事に携わっていたらしいという点です。曾祖父が「竹内」と名乗っていたという話は今まで一度も聞いたことがなかったので、最初はにわかには信じがたい話でした。しかし、Kさんが調べた結果、ある文献に曾祖父が「竹内」から「山田」へ姓を変えたという記載があり、同一人物である可能性が高いことがわかりました。ところが、京都の山田家の墓石には「大正15年但馬の國城崎町の墓を移す」と刻まれているだけで、曾祖父の生い立ちや琵琶湖疎水工事に関わることになった詳しい経緯については、家に残された資料もなく、依然として不明なままであります。

今年2月に母も他界し、遺品の整理をしていたところ、山田忠三の古い手紙や昔の資料が少し見つかりました。それらをKさんにお送りしたところ、田邊博士との工事に関する詳細なやりとりなどがあり、重要なものであることがわかりました。しかし、それ以外の資料は伯母の家を処分した際に失われてしまい、残っているものはほとんどありません。これから時間をかけて、曾祖父のことを少しずつ調べていきたいと思っております。
*京都市の告知(重要文化財・国宝指定について)
https://www.city.kyoto.lg.jp/suido/page/0000341284.html

このようなご縁から、毎年秋に開催されている京都モダン建築祭では、蹴上にある琵琶湖疎水記念館での記念講演にも参加する機会をいただきました。当日は、Kさんに本願寺水道の水源や発電所跡などの施設をご案内いただき、新しい技術を取り入れつつ、当時衰退していた京都の近代化に貢献した先人たちの偉大さを改めて感じました。南禅寺の水路閣はたいへん有名ですが、蹴上方面にいらっしゃる際には、琵琶湖疎水記念館(入場無料)にもぜひ足をお運びください。
琵琶湖疎水記念館: https://biwakososui-museum.city.kyoto.lg.jp/museum/

写真1
琵琶湖疎水記念館の入り口

写真2
自分の最近の写真

曾祖父の写真(琵琶湖疎水記念館のHP)
https://biwakososui-museum.city.kyoto.lg.jp/archives/ar/photo/tanabe/130.html